No.288 プーチン首相を逮捕する

 5月11日、ロシアのプーチン首相が来日します。

 この機会にプーチンを、人道に対する罪その他で逮捕できないかと考えたのが、この記事の始まりでした。

 もちろん、日本政府が今回そんな動きに出る可能性は、万に一つもありません。

 しかし、チェチェンの悲惨な戦争を遂行した張本人が、裁かれない=責任を追求されないなら、これからの世界では同じような虐殺が別の場所でも行われるでしょう。

 虐殺のモラルハザードを防ぐために、できることを模索しましょう。

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INDEX

 ・プーチン首相を逮捕する

-欧州人権裁判所で敗訴を続けるロシア
-プーチンの罪状は?
-国連の欺瞞
-ロンドンの事例ーーピノチェト裁判
-ありうべき世界のために
-追記

 ・ヤマダーエフ殺害事件から見えてくるもの
 ・イベント情報

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プーチン首相を逮捕する

 (大富亮/チェチェンニュース)


 素朴な疑問から始めよう。いままでチェチェンで殺された約20万人もの人々に対して、責任を負うのは誰だろう?

 チェチェンは1991年に独立を宣言し、それを認めようとしないロシアが、94年から軍事侵攻を開始した。この第一次チェチェン戦争、99年からの第二次チェチェン戦争で、合計20万人前後の人々が殺された。これに関して、ロシア側の最高責任者は、エリツィン(元大統領・病没)、プーチン首相(元大統領)の二人に絞られる。

 この戦争の間、モスクワ劇場占拠事件や、ベスラン事件など、示威的に行われたテロ事件もあった。それも裁かれるべきものだが、ほとんどのチェチェンゲリラはチェチェンにいて、軍事侵攻から郷土を守り、抵抗するために戦っただけだった。

 また、ロシア側はチェチェン武装抵抗勢力の数を最大時でも「2千人程度」と発表しているので、死亡した人々の圧倒的多数は民間人だったことになる。うち、子ども5万人が殺されたという説もある。

欧州人権裁判所で敗訴を続けるロシア


 具体例を挙げよう。
 
 1999年10月29日、赤十字のマークを車体に記した自動車を含む難民の車列が、チェチェンから隣国イングーシへと移動する途中、低空飛行するロシア軍機の機銃掃射を受けた。このとき少なくとも25人から100人ほどが殺された。人々はロシア軍側が日時と経路を限定して通行を許した避難回廊を通行していただけだった。

 この事件の被害者たちは、欧州人権裁判所に申し立てし、これまでに2件の判決が下りた。いずれもロシア政府が、欧州人権条約に言う「生命に対する権利」に違反したと判断し、ロシア政府に賠償金の支払いを命令している。ロシアは欧州人権条約の当事国なので、これには従わざるを得ない。

 人権侵害の被害者に対して、欧州人権裁判所は「効果的な救済」を命じることができるから、この場合は賠償金の支払いで法廷闘争は終わる。チェチェンに関しては、他にもすでに100件以上の判決が下っており、その多くでロシア側が敗訴している。

 ロシアの対チェチェン侵攻が人道上、きわめて大きな問題を孕んでいるということは、誰にも否定できない。しかし「救済」以上のことをするのは、欧州人権条約ではむずかしい。

 そもそも、チェチェンで殺されてしまった人々にとっての救済とは何だろう。金銭はもちろん、働き手を失った家族にとって大切なものだ。しかし、本質的な救済とは、二度と戦争が起こらない保証が、生き残った人々に与えられることではないだろうか。 

プーチンの罪状は?


 そうだとすると、戦争を指導した国家元首プーチンの訴追を可能にしなければならない。なぜなら、国家の最高指導者は、虐殺を起こすこともできれば、止めることもできるキーパーソンだ。適切に権限を行使するのは義務と言える。だからこそ、ニュルンベルク東京裁判以降の国際法は、被告人の公的地位を一切考慮しないことを前提にしている。

 プーチンの罪状は次のようなものが考えられる。

【ジェノサイドの罪】 国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為を言う。(ジェノサイド条約)

 (a)集団の構成員を殺す(チェチェン共和国民ー民族の全部または一部を殺す。100万人のチェチェン人のうち20万人を殺せば、もう充分だろう)
 (b)集団の構成員に重大な肉体的/精神的な危害を加えること(無差別爆撃、強制収容と拷問)

 こういった集団殺害を実行したり、集団殺害を共同で謀議したり、集団殺害を扇動した者は処罰される。国家元首であっても。

【人道に対する罪】 殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放、文民への非人道行為、政治的、人種的、宗教条の理由に基づく虐待。これを行うために計画、共同謀議の立案、実行した指導者、組織者、教唆者、共犯者は責任を負う。被告人の公的地位は一切考慮しない。 (ニュルンベルク国際軍事裁判所憲章 第6条c)

 日本政府が招待したウラジーミル・プーチン氏とは、そういう人物だ。

国連の欺瞞


 これらはすべて国際刑事裁判所ICC)に管轄権がある。罪があり、裁く場があるからいけるかと思いきや、そうは問屋がおろさない。

 ロシアはICCの根拠である「ローマ規程」に加入していないのである。
 
 したがってまず、ロシアの民主派が政権を獲得し、ICCに加入してもらう必要がある。また、それができなかった場合も、国連安保理が付託するという形をとれば、ICCが逮捕状を発行できる。ただ、ここでも問題はロシアが安保理常任理事国であることーーふたたび行き止まり。

 私見だが、日本は常任理事国入りを目指すよりも、むしろ常任理事国制の廃止に動いた方がよっぽど意味があると思う。チェチェン問題で国連が指一本動かさないのは、ロシアが常任理事国だからであり、その他の常任理事国にしても、「正式に」核兵器を所有する国々だ。

 だから、中国で人権侵害があろうと、アメリカがイラクやイランを侵略しようと、ICCで裁かれる可能性は今のところまったくない。言ってみれば世界の抑圧体制の中核が、じつは安全保障理事会だ。

 まるでそれを裏付けるように、かつてクリントン政権がロシアのチェチェン侵攻を批判したとき、エリツィンは「彼はロシアが核を持っているのを忘れたようだ」と豪語した。つきつめれば、核兵器が大国内部での虐殺の権利を保証してしまっているのである。

ロンドンの事例ーーピノチェト裁判


 しかし貴重な先行例もある。

 スペインとベルギーは、ジェノサイドの罪に関しては、世界中のどこで起きたものであっても、自国の裁判所で逮捕状が出せるという法律を制定しているようだ。

 そして実際に1998年、チリのピノチェト将軍が、旅行中にロンドンで逮捕された。スペインの検事がピノチェトをジェノサイドの罪、人道に対する罪で起訴し、イギリス当局が逮捕したのである。

 1973年9月11日ーー民主的に選挙されたサルバドール・アジェンデ社会主義政権は、アメリカの後押しを受けたピノチェト将軍のクーデターによって倒された。アジェンデはサンティアゴの大統領官邸内で殺され、国立競技場は巨大な強制収容所と化した。そこでは数百人が拷問ののちに殺され、その後1年間で18万人が略式裁判で投獄され、拷問を受けた。

 多少古い数字ではあるが、軍政13年目の86年の時点で、死者4万、行方不明2千、亡命者100万と言われている(チリは人口1600万人の国)*。

 クーデターには、チリの財界も大いに乗り気だった。それまで、貧困層の割合は全人口の20%だったが、17年後には40%に倍増した。新自由主義経済の奇跡である。

 98年に戻ろう。老ピノチェトは、「健康上の理由」を持ち出して国に逃げ帰った。イギリス当局がこれを認めたことは、多くの人々を悔しがらせたのだが、帰国後のピノチェトはチリの警察に追われて短いながらも収監され、警察のカメラの前に座って、指紋を押捺するという屈辱を経験したのだった。

 どんな偶然なのか、プーチンは1999年頃のインタビューで、「もっとも尊敬する指導者はピノチェト将軍だ」と答えてもいる。せっかくだから末路も共にしてもらおう。

ありうべき世界のために


 一時は国の指導者だったとしても、罪から逃れることはできない。国内戦争を起こし、数万の人々を殺戮したのであればなおのこと。それが、これからの世界の常識になるはずであるし、そうしなければならない。

 法律に関わる人々からすれば、やや雑な議論に読めるかもしれない。けれども、罪のない人々の死に対して、必ず誰かが責任を取るべきだという思いには、共感を持っていただけるのではないかと思っている。ぜひ、専門家の意見を伺いたい。

 なにより、私たちがプーチンという個人に対して批判的な眼差しを注ぎ、何らかの行動をとるのは、チェチェンの人々の安全のためになるだけではない。

 新自由主義が、多くの人から職や公共サービスを奪おうとしている時代に、国家の暴力を拒絶して法を重んじること、常識的で、ありうべき社会を目指すことは、私たち全員の未来を左右すると思うからだ。


 参考文献:

 国際条約集

 *「戒厳令下チリ潜入記ーある映画監督の冒険ー」G.ガルシア・マルケス
  岩波新書 1986

 **「ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判 
   もうひとつの9・11を凝視する」アリエル・ドルフマン著 現代企画室 2006

 欧州人権裁判所チェチェン関係判例(英語)
http://cmiskp.echr.coe.int/tkp197/search.asp?skin=hudoc-en
(Judgmentsを選択して、「chechnya」で検索する)

追記

 ウェブにはあまり情報が上がっていないようだが、『ガザでのイスラエルによる巨大な戦争犯罪国際刑事裁判所で裁かせよう!』という運動が動き始めていて、この記事を書く際にも刺激になった。

 手元の資料によれば、ガザへの現地調査団の派遣と、イスラエルによる戦争犯罪ICCで裁くために日本政府が積極的に動くよう、外務省や政党に働きかけることが提起されている。ICC加入状況や国連安保理常任理事国の問題など、条件の違いはあるのだが、ぜひ協力したいと思う。関係のサイトはこちら:

http://midan.exblog.jp/

 長い記事を読んでくださって、ありがとうございました。

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ヤマダーエフ殺害事件から見えてくるもの

  (岡田一男/映像作家)

 日本のマスコミでも朝日新聞が、4月17日に大きくページを割いて報道したが、ロシアのマスコミでは、3月末以来、チェチェン共和国第2の都市、グーデルメスを根拠地としてきた、軍閥、ヤマダーエフ六人兄弟の四男スリム(1973年生まれ=スレイマン)・ヤマダーエフ予備役中佐(一説には現役大佐)、ロシア連邦英雄、ロシア陸軍参謀本部諜報局(GRU)直轄特殊部隊「ヴォストーク(東)」前司令官の首長国連邦ドバイでの「横死」が、紙面・ウェブスペースを賑わせてきた。

 3月28日土曜日は、ドバイで最も大規模な国際イベントの開催日であった。世界最高賞金競馬、ドバイ・ワールドカップレースが、ナド・アル・シバ競馬場でにぎにぎしく行われたのだ。日本からも3頭が招かれ出走した。競馬ファンならずとも武豊騎手とか、「ウォッカ」と言った馬名は聞いたことはあるだろう。チェチェン共和国大統領ラムザン・カディロフが、2008年6月に数十万ドルを投じて米国から購入した持ち馬、「レースカー・ラプソディー」2005年生まれ、鹿毛の牡馬も出走を目指していて、カディロフは配下多数をドバイに派遣していた。その関係者が、ドバイ警察からロシア市民、スレイマン・マードフ氏(スリム・ヤマダーエフの偽名)「殺害」の容疑をかけられたのだ。

つづきを読む
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090502/1241268728

                                                                                                                                          • -

イベント

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4/29-5/8 鎌倉:「米原万里、そしてロシア」展

幅広い文筆活動のなかでチェチェンの悲劇を訴えた、
ロシア語通訳・作家の米原万里さんの回顧展。
原稿や愛用品などとともに在りし日の米原さんを偲ぶ。
井上ひさしさんらによる講演、シンポジウムも(一部要予約)。

http://www.kamashun.co.jp/topics/2009/03/post.html


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5/9 飯田橋:シンポジウム 自衛隊・米軍報道を斬る 
マスメディアは事実を伝えているのか

琉球新報で長年基地問題を担当してきた松元剛記者、
東京新聞防衛庁(省)駐在記者を15年にわたって続ける半田滋さん、
自衛隊員の心理や生活実態まで取材をするインディペンデントの
三宅勝久さんらが斬る自衛隊と米軍報道。

http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090429

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5/11-13 東京:プーチン・ロシア首相日本訪問 日露首脳会談


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5/15 文京:孫崎亨講演会:なぜ日本は戦略思考に弱いのか、
迷走する安全保障政策を検証する

米国のいいなりの日本。
戦略なき日本外交はどこに向かうのか。
もと外務省国際情報局長が語る。

http://apc.cup.com/


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5/15 飯田橋:みみの会 伝説の娼婦 『ヨコハマメリー』上映+講演会

白塗りの厚化粧にドレス姿で横浜の街を生きた伝説の娼婦ヨコハマメリー
横浜の戦後と街の歴史を生きたメリーさんとは何者だったのか。
ヨコハマメリー』(1時間30分)を上映し、中村高寛監督の話を聞きます。

http://d.hatena.ne.jp/miminokai/20090426


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5/23 経堂:講演会 アンナ・ポリトコーフスカヤとロシアの陪審裁判

ポリトコーフスカヤ殺害事件の容疑者に無罪を言い渡した
ロシア陪審法廷。日本の裁判員制度も視野に入れながら、
陪審制について語る。
小森田秋夫氏(東京大学社会科学研究所所長)による発表。

http://www.t3.rim.or.jp/%7Eyuken/sub4.html


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5/24 池袋:キューバ革命が切り開いたラテンアメリカの現在

世界恐慌へ近づく世界的金融危機
合州国主導の新自由主義と対決してきた南米諸国のなかでも、
キューバは主導的な役割を果たしてきた。
ラテンアメリカの切り開く地平について、元外交官の小倉英敬さんが講演。

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090426


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5/30 水道橋:広瀬隆講演会
二酸化炭素温暖化説はなぜ崩壊したか エネルギー消費の正しい解決のために」

揺らぐ二酸化炭素温暖化説を科学的に議論する。

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090412


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5/31 御茶ノ水:スピークアウト for アクション:イスラエルを変えるために

イスラエル製品/関連企業をボイコットするーー
イスラエルの武器生産・取引・使用の実態を明らかにするーー
指導者たちの戦争犯罪を裁かせるーー「歴史事実」の確認からはじめよう。
占領をやめさせ、共生するためのシンポジウムと分科会。

http://midan.exblog.jp/


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7/4 御茶ノ水:「終焉に向かう原子力」(第8回)
原発・反再処理工場 7.4講演と映画の集い

ビデオ「なぜ警告を続けるのか」と、映画「六ヶ所村ラプソディー」上映。
京大原子炉実験所の小出裕章さんの講演「六ヶ所が映す不公正な世界」も。
地球温暖化によって、ふたたび原発政策が勢いづこうとしている。

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090427


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映画・写真展・連続講座

MediR講座
『制作者との対話〜TVドキュメンタリーを通して社会を考える』
5/10-8/9 高田馬場

優れたドキュメンター番組を見、
制作者との討論を通してメディアリテラシーの養成をめざす。
スベトラーナ・アレクシエービッチに関する作品、
「ロシア 小さき人々の記録」(2000年放送)についての講座あり。

http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090417


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チェチェンへ アレクサンドラの旅』

孫へのまなざし 平和への祈り ロシアの見たチェチェン

http://www.chechen.jp/


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『★CHEチェ 28歳の革命 39歳別れの手紙』

カストロとともにキューバ革命を成功に導いた、
チェ・ゲバラの生涯をソダーバーグ監督が映画化

http://che.gyao.jp/


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 『ビリン・闘いの村』

パレスチナ暫定自治区ヨルダン川西岸のビリン村。
若者たちは非暴力の闘いに立ち上がった。

http://www.hamsafilms.com/bilin/


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