人権派弁護士と若いジャーナリストがモスクワで暗殺された!


 1月19日の午後2時、チェチェン紛争の被害者救済にあたってきたスタニスラフ・マルケロフ弁護士が、モスクワの路上で銃殺された。同行していた若いジャーナリストのアナスタシア・バブローワさんも重傷を負い、翌日、病院で手術中に死んだ。

 この事件の意味を理解するには、少し前置きが必要になる。くわしいことは参考文献やリンクをみていただくとして、事件のアウトラインを押さえておきたい。

 事件の始まりは、第二次チェチェン戦争が激戦だった2000年の春、チェチェンの小さな村、タンギ・チェから始まる。この村の近くに駐留していたロシア陸軍の第160戦車部隊のブダーノフ連隊長が、深酒をした上、夜遅くなってから部下を連れて村に行き、以前から目をつけていたエリザという18歳の娘を誘拐して自分のテントに連れ込んだ。

 そして「尋問」を行い、興奮したブダーノフは彼女の首を絞めて殺した。その前に強姦していたという証拠も、法廷に提出されている。もともとブダーノフが深酒をしたのは、自分の娘が生まれたお祝いのためで、このあたりはブラックユーモアを通り越していて、気持ちが悪いくらいだ。

 この事件でブダーノフは2001年に逮捕され、紆余曲折のすえ、2003年に10年の刑を宣告された。しかし、この刑期には逮捕から判決までの拘置期間も含められることになったので、刑期は2011年まどとなっていた。

 ところが、去年12月24日、クリスマスイブを狙ってなのか、ブダーノフの恩赦が発表され、実際に1月15日に釈放されてしまったのだった。これが、ブダーノフ事件である。

 ブダーノフに、一度は10年の刑期が降ったのは、エリザの遺族が粘り強く法廷闘争をしたためで、その代理人を務めていたのが、マルケロフ弁護士だったのである。日本ではそれほど知られていないが、

<以下もう少し書いてからチェチェンニュースで流します。今朝は時間切れ>
<結局、緊急声明という形になりました。こちらをご覧ください: http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090123/1232684738

マルケロフさんは、チェチェン人少女エリザ・クンガーエワを2000年に殺害したロシア軍のユーリー・ブダーノフ大佐の早期釈放に反対しつづけていた人物。15日に大佐が釈放されたことから、チェチェン社会では怒りの声が上がっている。

34歳のマルケロフ氏は、クレムリンからわずか1キロの所にあるビルで記者会見を行った直後に殺害された。同氏は、ストッキングを被った犯人に、サイレンサー付きの銃で背中から頭部を至近距離で銃撃され、まもなく死亡した。当局者によれば、これは計画殺人の典型的な装備だといい、目撃者も複数いるという。

アナスターシア・バブローワは、ノーヴァヤ・ガゼータ紙と契約している20代のフリーランスジャーナリストで、マルケロフが襲撃されたときに、かばおうとして被弾し、病院で死亡した。

マルケロフは、チェチェンでブダーノフ大佐に殺された18歳の少女エリザ・クンガーエワの遺族の代理人であり、RIAなどの報じるところでは、今月15日のブダーノフの早期釈放(懲役10年のところ、6年で釈放されたか、あるいは逮捕の時から数えて8、9年目に釈放された)を、国際的な法廷に提訴しようとしていた。

ブダーノフは2003年に、10年の刑を言い渡された。彼はエリザさんの殺害の事実を認めたが、彼女が独立派の狙撃手だと信じていたと主張していた。この事件は、チェチェン戦争での人権侵害に、ロシア当局が本気で取り組む気があるかどうかを示すものとして注目されていた。しかし大佐は差別的な民族派グループによって英雄視され、裁判の行われた時には法廷を支援者たちが取り囲んだ。

エリザさんの父親のヴィサ・クンガーエフさんは、現在家族とともにノルウェイに亡命しているが、マルケロフ氏との電話で、「海外での提訴をやめなければ殺す」と脅迫されていたという。

ブダーノフの釈放には、人権活動家や弁護士たちが批判を強めている。

...と訳していたら、nofrillsさんが関係の記事をたくさん訳してくれていることに気がついたので、そちらを参照していただきつつ、こちらでも関連する情報や意見を少し書き出しておきたいと思う。

マルケロフさんは、2006年に殺害されたアンナ・ポリトコフスカヤさんや、2002年のモスクワ劇場占拠事件で人質にされたチェチェン人女性の代理人も務めていた。

「彼はいつも最前線にいました」と、人権団体「メモリアル」のアレクサンドル・チェルケソフ氏は言い、「2005年に、チェチェンで<強制失踪(拉致)>された若いチェチェン人の事件でロシアの警察官セルゲイ・ラピンが懲役11年の有罪となった事件でも、被害者の弁護人でした」という。

マルケロフは、ラピンがポリトコフスカヤさんを脅迫しているとして、司法当局に訴えていたところ、2004年の4月、地下鉄の構内で5人の男に取り囲まれて暴行を受けたこともある。「自業自得だ!」と犯人たちは言い、携帯電話とポリトコフスカヤの件に関する書類を奪って去った。財布はそのままだった。警察は「暴行を受けたと装っている」として、取り合おうとしなかった。

ロシアの反体制活動家のレフ・ポノマリョフは「腹のすわったジャーナリストに用があればポリトコフスカヤに電話すればよかったし、腹のすわった弁護士が必要ならマルケロフがいた」と語った。