パーキスターンについての覚え書き

基礎知識

「パーキスターン・イスラーム共和国」(パーキスターン:清浄な国の意。P:パンジャーブ、A:アフガニスタン、K:カシュミールの3つの地名を含む)人口1億4900万人。国語:ウルドゥー語と英語。

19世紀から1947年までイギリスの植民地、インドとともに独立した。カシミール地方の支配をめぐってインドと対立を続けている。

パシュトゥーン人自治運動に関してアフガニスタンとも対立した。この問題について、ソ連がアフガンを、アメリカがパキスタンを支持したために、冷戦構造が生まれた。

70年代にアフガニスタンが親ソ政権になると、パキスタンはアフガンのイスラム指導者たちをかくまう。ソ連軍侵攻に対する、アフガン・ムジャヒディーンによる戦争が79年に起こってからは、ムジャヒディーンへの西側諸国からの支援がパキスタン経由で送られた。この過程で宗教政党ジャマーアテ・イスラーミーが台頭した。

ところがアフガン戦争が終わると、米ソともにこの地域への支援をやめ、アフガンからの難民流入パキスタンの経済が圧迫された。

パキスタンはインドに対抗する経済圏の樹立をめざしているが、それには、アフガニスタンを通って、ウズベクキルギスなどの中央アジアにつながるルートが必要であり、そのためにアフガニスタンのターリバーン政権を支援した。ターリバーン政権崩壊後はアフガニスタン新政権や、中央アジア諸国との友好関係の構築を目指している。(参考:中央ユーラシアを知る事典 平凡社 2005)

治安

パキスタンの治安は悪化を続けている。ターリバーンとその関連グループは、国中の市場、病院、宗教施設で市民をターゲットとした自爆攻撃を行っている。特に、アラビア海沿岸の都市カラチでは、政治活動家の殺害が増加している。(HRW World Report 2010)

野党 パキスタン人民運動

"Pakistan Awami Tehrik"は、パキスタンの野党「パキスタン人民運動」のこと。イデオロギーは、イスラム民主主義、正義、社会主義民族主義。党首はムハンマド・タヒル・ウル・カドリ。結党は1989年。ラホーレに本拠を置く。 http://www.pat.com.pk 結党1年後の1990年に国政選挙に参加。