ベスラン
ロシア日刊紙コメルサントの5月3日の報道によると、2日、北オセチア・アラニア共和国の最高裁判所・検察庁は、さる4月3日にウラジカフカスの地方裁判所が下した決定を却下した。却下された決定は、2004年9月のベスラン学校占拠人質事件*1のさいに事件現場に…
2004年9月1日にロシアの北オセチアで発生し、治安部隊の強行突入によって330名以上(うち半数は子ども)が死亡する大惨事となったベスラン学校占拠事件から2年。ロシアの上下院議員によって設置されたベスラン独立調査委員会は、今年の2周年追悼式典を前に、…
北オセチア、ベスラン学校占拠人質事件犯人ヌルパシ・クラーエフの裁判が続いている。9月3日の治安部隊の突入のさい、当局側は「体育館の中で爆発があり、中から銃撃があったために突入した」としていたが、現場の近所に住んでいる市民、クズベク・トルビ…
米・ジェームズタウン財団の「チェチニャ・ウィークリー」より http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=409&issue_id=3424&article_id=2370105 北オセチア最高裁判所には、ベスラン学校占拠人質事件の元人質たちがつめかけている。生…
6月14日、ウラジカフカスでのヌルパシ・クラーエフ裁判が再開された。15日のコメルサント紙によると、被害者(元人質を含む)たち8人が証人となった。最初に証言したアレクサンドル・グメツォフの13歳の娘アザは、体育館で焼かれていた。彼はクラー…
今週もがんばっていきましょう。クラーエフの供述の、まとまった記事が見あたらないので、いろいろな記事の断片的な記述を集めている。大半は無駄な作業かもしれないが、いまのところこれしかない。 6月1日のコメルサント紙英語版によれば、クラーエフたち…
クラーエフ問題をどう考えたらよいか、まだわからない。ベスラン事件でたった一人生き残ったテロリスト、という位置づけがまずあやしい。率直なところ、ロシア側が送り込んだチェチェン人エージェントなのではないかと思っている。しかし裁判では罪状を認め…
クラーエフは6月2日の公判で、事件以前に存在したいくつかの攻撃計画について語った。これによると、クラーエフたちのリーダーである<大佐>は、チェチェンの首都グロズヌイ、ウラジカフカス、ナズランなど北コーカサスの都市の警察・治安省庁建屋に対す…
クラーエフ裁判は今のところ予審というか、プレ裁判の状況らしい。6月2日のイタル・タス通信によると、クラーエフは24歳で、チェチェンのノジ・ユルト近くのスタール・エンゲノイ村の出身者。今回の裁判ではロシア刑法に抵触する8個の罪で訴追されてい…
5月31日、法廷のクラーエフは「<大佐>は、ロシア側の交渉人がくれば、そのつど150人を釈放しようとしていた」と語り、ロシア側が意図的に交渉を避けていたという意味の発言をした。
5月19日のBBCによると、ベスラン学校占拠事件に参加したとして裁判にかけられているヌルパシ・クラーエフ容疑者(24)は、公判の場で、殺人、テロなど9つの罪状すべての容疑を否認した。検察側によればクラーエフはベスラン事件に参加したゲリラの…
5月19日、ベスラン事件でたった一人生き残ったとされるヌルパシ・クラーエフに対する裁判が行われ、クラーエフ容疑者はかけられた嫌疑のすべてに無罪を主張した。かけられた容疑はテロリズムと殺人など。クラーエフは事件直後にロシアの兵士に後ろ手に縛…
北オセチア学校占拠事件犯人の裁判開始 5月17日、北オセチア共和国の首都ウラジカフカスで、チェチェンの民兵ヌルパシャ・クラーエフに対する裁判が開始されたと、各紙が報じた。ロシア当局によるとクラーエフは、2004年9月の学校占拠事件のさいの3…