kommersant:クラーエフ裁判

今週もがんばっていきましょう。クラーエフの供述の、まとまった記事が見あたらないので、いろいろな記事の断片的な記述を集めている。大半は無駄な作業かもしれないが、いまのところこれしかない。

6月1日のコメルサント紙英語版によれば、クラーエフたちがイングーシから北オセチアに入ったルートを助けていたのは、ある警察官だった。その警察官スルタン・グラゼフは、モズドクでゲリラたちに誘拐され、トラックに押し込まれてベスランまでの道案内をさせられた後、事件発生直前に逃げ出して地元の警察署に逃げ込んだと、コメルサントは書いている。

「遊びに来たんじゃない、命令で来たんだ」と、<大佐>(ラスル・クチバロフ)は部下たちに言って統率に従わせようとした。クラーエフはその「命令」が、アスランマスハドフとシャミーリ・バサーエフから下されたものと信じた。ルスラン・アウシェフ・元イングーシ共和国大統領が学校に交渉に現れた時のことは、こう語る。「アウシェフと大佐は2〜3分話し合っただけだった。その後で、大佐が携帯電話で誰かに、<ザソーホフ(北オセチア大統領とジアジコフ(イングーシ大統領)が来たら、そのつど人質を150人づつ解放する>と話しているのを聞いた」という。

クラーエフは、治安部隊の突入が、ゲリラ側の挑発によるものではないことを強調した。爆発は、踏み込み型起爆ボタンを足で踏んでいたゲリラが、外部から狙撃されて倒れたために起こったものだという。一方、調査に当たった専門家の判断によれば、体育館の天井につられていた2つの爆弾は、絶縁用のテープで留められており、室内の熱のためにこのテープがはがれて落ち、爆発した。もう一つもそのとき誘爆したとしており、クラーエフの供述と矛盾している。

http://www.kommersant.com/doc.asp?id_doc=582738