閉ざされた声=チェチェン(4)マジーナ

2005年4月29日信濃毎日新聞掲載原稿(一部改稿)

「行方不明者」捜す女たち

 「人間はこの世に一度生まれ、一度死ぬ」
 二〇〇〇年三月、チェチェンの惨状を訴えるために来日した「チェチェン母親たち」代表のマジーナ・マゴマドワ(51)が語った言葉が今も忘れられない。「危険な活動をしていて怖くないか」という記者会見での質問に対する答えだった。

行方知れずの弟

 ロシア占領下のチェチェンで増え続けている「行方不明者」。マジーナたちは、ロシア軍やFSB(連邦保安局)、傀儡(かいらい)政権に逮捕・連行されたまま行方がわからなくなった住民を捜す活動を、十年間続けている。
 ロシア軍がチェチェンに侵攻し、第一次チェチェン戦争が始まってからひと月後の一九九五年一月。マジーナが避難していた田舎の両親の家に、兄の遺体が運ばれてきた。戦闘に加わっていたわけでもない兄がいったいなぜ殺されたのか。一緒にいたはずの弟の行方もわからない。マジーナは弟を捜すため、市街戦が続く首都グローズヌイに戻った。

 「激しい砲撃の中をどう生き延びたのか、自分でも覚えていない」と彼女は言う。兄と弟がロシア兵に拘束された現場を目撃した人をようやく見つけ、兄がその場で射殺されたこと、弟は装甲車で連行されたことを知った。その瞬間から、彼女の活動家としての人生が始まった。

 同年三月、OSCE(欧州安保協力機構)のチェチェン事務所に、マジーナと同じように家族の行方がわからない女性が大勢押しかけていた。彼女たちは共同で、消息調査を求める嘆願書を書き、そこに「チェチェンの母たち」と署名した。それが組織としての活動の第一歩だった。

 「チェチェン母親たち」の会員は現在、千百五十人。その中にはチェチェンに住むロシア人もいる。活動家は四十人ほど。多くは名前も公表せず、密かに行動している。

消えた1万8千人

 チェチェンの「行方不明者」について、マジーナたちと協力している国際人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」ロシア支部ペトロフ支部長はこう説明する。「二〇〇四年一月から十一月までに、確認できただけで約千五百人が行方不明になった。占領軍や傀儡政権の報復を恐れて届け出ない人が多いため、実際は三千人を超えるだろう。過去五年間で約一万八千人という数字が実態に近い」

 マジーナの弟の行方は、ロシア軍に連行されてから十年以上過ぎる今もわからない。
 ただ、昨年、ロシアの団体「兵士の母親委員会」を通じて、弟がロシアの刑務所「ウラリスクST4」に収容されているという情報が入った。そこは、ロシア革命前からの政治犯収容所(精神病院併設)だという。

「裏付けは取れていないが、もし事実なら、弟は政治犯としてひどい扱いを受けている可能性がある。でもそれは、弟がまだ生きているということでもある」とマジーナは言った。

私たち女が男たちを守る

 私は昨年末から今年一月にかけて三週間ほどチェチェンに滞在した。その間に、私の周囲だけで、女性活動家が二人逮捕され、住民十人が「失踪」した。

 マジーナたちが苦労して消息を突き止めても、その人数をはるかに上回る数の人が、チェチェンでは「失踪」し続けている。人権団体などNGO関係者への迫害も強まっているため、マジーナ自身がいつ「行方不明」になってもおかしくない状況だ。

 だが、マジーナは動じない。
「私たち中高年の女性は、ある意味で、すでに十分生きた。危険な活動なので、若い人たちを前面に出すわけにはいかない。だから私たちがやる」。
そして、彼女はこう言葉を継いだ。
「より危険にさらされている男たちを、私たち女は守らなければならないのです」と。
 (以下 次号)