2008.01.31 ハッサン・バイエフ来日記者会見
本日、ハッサン・バイエフ医師が来日し、東京・春日で記者会見を行いました。取材に入ってくださったのは、読売新聞、朝日新聞、信濃毎日新聞、時事通信、あけぼの編集部、ロシア語通訳の方々です。以下に記者会見の内容をお伝えします。
当日の配布資料はこちら:
http://chechennews.org/dl/20080131distri.pdf
岡田一男(「ハッサン・バイエフを呼ぶ会」共同代表):お忙しいところ、皆様ようこそお越しくださいました。ハッサン医師は、今回二度目の来日になります。ハッサン医師は、昨年11月に来日してから、3回チェチェンに入って、(1) 現地の医療の再建 (2) 外科医としての自身の医療活動の再開 の可能性を探ってきました。また、この間、チェチェンの口蓋裂・口唇裂の子どもの手術にも関わってきました。ハッサン医師は、そのために米国やロシアでも努力していますが、日本の先進的な技術を学びたい―医師法によって患者に直接触れることは許されていないのですが―という強い希望により、今回来日することになりました。埼玉医科大学で2-3月の2ヶ月間受け入れが決まっています。また、週末は各地で講演を行います。全国9ヵ所で、すでに集会の開催が決まっています。
ハッサン・バイエフ:まず私の招聘に携わってくださった実行委員の方々に感謝を申し上げたいと思います。日本を訪れてから約一年が経ったわけですが、その一年間で大きな変化が起こっています。日本を前回出国してから医学にまた戻ったといいますか、できる限り医療の世界に戻るための活動を行ってきました。やはり戦争というのは、戦争そのものだけでも悲惨なものですが、それがもたらす惨禍をどうにかしたいと思ったからです。
チェチェンでの戦争は12年間ほど続いているわけですが、戦争は激しいところが終わったというところから、多くの先天的な障害を持った子どもたちが生まれています。ボストンでハーバード大学からの奨学金を得ることができまして、1年間ほどボストンの小児科病院・・・(中略)
・・・そこで先天的な障害を持つ子どもの手術を多く見ることができました。私はこの1年間でチェチェンを3回訪れているわけですけれども、そのうち11月に訪れたときに、チェチェンから1000キロほど離れたロストフというところにあるタガンログという町で、チェチェンの子どもたちに手術を施すミッションがありました。そのミッションは、「オペレーション・スマイル」というアメリカの有名な慈善団体が主催したものでした。その研修に私自身参加することができたわけです。そして、その後、約二ヶ月ほどチェチェンに戻っていまして、先天的な障害を持つチェチェンの子どもたちをピックアップすることができたわけです。そのときに20人のチェチェンの子どもを、母親も連れて、タガンログという街に連れて行って、手術を受けさせることができました。
高橋純平(通訳):時系列を整理すると、10月にほぼ一ヶ月かけて子どもたちのピックアップをして、11月6日からタガンログのミッションに子どもたちを連れて行ったということです。
ハッサン・バイエフ:その手術の五日後、子どもたちを、私が責任を持ってチェチェンに送り届けてきました。その際、ほぼ2000人くらいの子どもをチェチェンで見ることになりました。それと同じように、この年の9月、アメリカの有名な形成外科医の医師をチェチェンに連れて行って慈善事業を行いたいと考えています。もちろんこういったミッションは、現在のチェチェンの政府からも大きな支持を得ました。
この一年間、チェチェンではより多くのことがよい方向に変わっているといってもよいかと思います。チェチェンの町の中を見てみても、廃墟のような光景はもうなくなっています。かなり新しい建物も建設されています。都市部では生活が再建されてきて、市民生活もよりスムーズに運ぶことができるようになってきています。チェチェン人自身もこのような短期間で非常に美しい景観を取り戻したということに驚いているところです。
しかしながら、医療関係の問題はいまだに深刻な状況です。その問題を解決するためには、これからも長い時間が必要とされると思います。チェチェンの国民の心理的な状態というのは、まだ危機的なものといえます。やはり、この戦争を経て、今チェチェンでは心身ともに健康な人というのは残されていないといってよいと思います。ガンの発生率を見てもかなり大きな数字が統計上出ています。結核の数も大人、子どもを含めて非常に大きな数です。心臓の疾患を持って生まれてくる子どもたちの数もかなり多いです。血液の疾病ですとか、その他多くの疾病が見られます。こういうのが大まかな状況なのですが、みなさんのご質問に答えるほうが細かい話ができると思うので・・・。
Q:全般的にチェチェンの状況はどうなっているのですか?戦闘は終わっていると捉えてよいのですか?
ハッサン・バイエフ:基本的に戦闘は終結したといってもよいのですけど、山岳地帯ではときどき武力衝突が起こっているようです。
Q:チェチェン入りすること自体は問題なくできますか?
ハッサン・バイエフ障害はこれといってありません。チェチェンでも私がアメリカに住んでいて慈善事業をしているということが知られているので、チェチェンに入ることは何の問題もありません。政治的な状況もこの八年で変化しましたし、八年前に私に向けられていた関心も色褪せてしまい、私自身そんなに目立つ存在ではなくなってしまいました。それとは別に、多くの人が、私に対してチェチェンに戻って手術に携わってくれと説得している、そんな状況です。
Q:医療活動を再開するにあたって、何が障害になっていますか?医師免許ですか?
ハッサン・バイエフ:チェチェン国内で手術をする分には医師免許に問題はありませんので、11月にチェチェンに戻ったときにも手術を行うことはできました。ロシア国内で医療に携わる分には私にとってまったく障害はありません。
Q:チェチェンに3回戻られたということですが、具体的にはいつ戻られたのですか?
ハッサン・バイエフ:まず10月ですね。10月の頭から11月のミッションを経て12月10日までチェチェンにいました。子どもの手術といったことに携わりました。一番直近が1月12日から1月24日までで、チェチェンからモスクワに出ました。日本に来てから一番最初にチェチェンに戻ったのが、2006年の12月29日から1月30日までです。
Q:チェチェンのご家族には会えましたか?
ハッサン・バイエフ:家族は基本的にボストンに一緒に住んでいますが、私がチェチェンに戻ることはマスコミでも書かれたりしていますので、まったく問題なく親戚たちとも会うことができました。
Q:3回ともモスクワ経由で帰れたのですか?
ハッサン・バイエフ:モスクワではパスポートを見せるとチェチェン人だということがわかるので、別室に連れて行かれて調べられます。今回もようやく飛行機に間に合うというときまでいろいろとチェックをされました。いろいろな人が連れてこられて、そのたびにまたパスポートのチェックをされました。けれども、そういったことはいつものことなので、基本的には別室に連れて行かれても心配をしていません。「どこに住んでいるんだ?」「ボストンだ」「子どもはどこにいるんだ?」「ボストンだ」「日本には何のために行くんだ?」ということを訊かれますが、自分の任務をこなしているということで。まったく問題ありません。
Q:グローズヌイでは再建がかなり進んでいるということですが、その点についてはどうですか?
ハッサン・バイエフ:グローズヌイの中にある地区が一つあるのですが、そこを12月に訪れたときには、廃墟的な様相を呈していたのですが、10月に訪れたときには、まったく別の新しい地区になって、建物も新しくなって、専門学校、公園、きれいな駐車場ができていました。自分でそれを目の当たりにしていないと信じられないような変化が起こっていました。私自身、本当に廃墟のような光景を戦争の惨禍として見ていたとき、それを見るだけでつらい体験を思い出してしまう、そういう状況だったのですが、街が綺麗な景観になっていくというだけで、将来に対して明るい気持ちを持てるようになってきます。
Q:『誓い』の本の中に出てくる人たちも、現在の状況というのを見ているわけですか?
ハッサン・バイエフ:何人かは元の同僚たちと会うことはできました。しかしこれだけ時間が経っていると大きな変化が起こっていまして、同僚のうちの何人かはヨーロッパに出て行ってしまったという情報も確認されています。
Q:子どもたちが先天的な障害を持って生まれてくる原因は何なのでしょうか?
ハッサン・バイエフ:理由は多くあると思うのですが、一つは遺伝です。それから、戦争によって破壊された環境的要因、ストレスといったものが挙げられると思います。
Q:戦争と武器との関連についてはどうなのでしょうか?
ハッサン・バイエフ:爆撃ですとか砲撃とかですかが何年も続いていて環境が破壊されていたので、そこからの影響が大きいのではないかと思います。
Q:チェチェンでは医療制度が危機的だということですが、医療問題はメドベージェフが大統領になったときの課題の一つとして挙げられるほどの大きな問題だと思うのですが、チェチェンでは医療費というのはどうなっているのですか?
ハッサン・バイエフ:この12年間でチェチェンの医療システムはほぼ完全に破壊されてしまったといっていい状態です。再建の数字は立てられていますが、チェチェンでは80%の人が仕事がないといわれていて、それを支援するシステムもありません。今チェチェンではまともな仕事というものは三つしかなくて、教師、医師、建設に従事する労働者です。その他の人たちは、バザールのようなところで物を売って生計を立てようとしているのですが、まだ購買力が追いついていないので、厳しい状況です。
Q:チェチェンでは街などが経済的によくなったということですが、山岳地帯では戦闘が続いていると思います。チェチェンの状況は以前よりはいいと思いますか?それともまだ問題がありますか?
Q:2ヶ月間、10月から11月にかけて、チェチェンで過ごしたときには、武力衝突―砲撃などですね―は、私自身はまったく見ませんでした。ロシア軍による検問はいまだに設けられていますが、そこでいろんないちゃもんをつけてきていろんな物品をせしめとろうとしてきたり、ということも今はありません。私自身、車の移動を、夜の11時ですとか1時にしていても、止められるようなことはまったくありませんでした。基本的にチェチェン人たちはいま移動の自由が認められているといいますか、チェチェンからロシア国外に出て行くときも、基本的には移動の自由が認められているようです。以前は、ロシアからチェチェンに入ろうとするときには、7時―夜明けの時間―まで待たなければならなかったのですが、今はそういった制限はなくなっています。山岳地帯での武力衝突があるといいましたが、それは毎日というような頻度ではまったくありません。それがあったとしても、大規模なものではないようですので、現在の状況はかなりよくなってきていると、これからもよくなっていくであろうと思います。
Q:医療システムがほぼ完全に破壊されたとおっしゃいましたが、病院の状態などもう少し具体的なお話を伺いたいのですが。
ハッサン・バイエフ:病院はかなり多くの数が再建されて機能しているようです。また新しい小児科病院などの新設の動きがあります。癌センターのようなものもあって、以前はそれが完全に崩壊していたものも、完全に機能するようになっています。とにかく破壊がすさまじかったもので、それらのものが完全に再建されるためには長い時間が必要だと思います。私自身、自分が死ぬ前にもう一度グローズヌイを見ることができるとは思っていなかったんですね。私の子どもが見ることができれば幸せだと思っていました。しかし変化は予想以上に早いものでした。
Q:チェチェンの医療で一番必要なものは何ですか?
ハッサン・バイエフ:医療機器ですね。各種薬品も不足しています。特に不足しているのが、結核用の薬品、そして血液の治療用の薬品も不足しています。
Q:アルハン・カラに行かれたということですが。
ハッサン・バイエフ:基本的に自分の家がアルハン・カラにありますので。アメリカの友人たちと一緒に行ったのですけど、自分が住んでいた家も、完全にではないですけど、部分的に再建されていて、そこで合流することができました。
Q:家には今誰が住んでいるのですか?
ハッサン・バイエフ:私の母と姉が住んでいます。
Q:アルハン・カラの再建は進んでいますか?
ハッサン・バイエフ:かなり進んでいますね。特に中心部は、廃墟化していたんですけど、今では文化センターのようなものが建っています。アルハン・カラは、だいたい1万6000人くらいの町―村―です。
Q:チェチェンに戻ることは問題ない、チェチェンで手術をすることにも問題ないということでしたので、故郷に戻って治療にあたるということも可能だと思うのですが?
ハッサン・バイエフ:チェチェンを出るときに毎回そのときの滞在がその前の回と比べてどうだったか―ブランクが半年だったり数ヶ月だったりするわけですが―つねに状況がよい方向に向かっていることを確認しています。今、チェチェンに戻って医師として活動を再開するということもできますが、少なくとも2年間はそのような計画はありません。
Q:2年というのは?
ハッサン・バイエフ:やはり子どもが今ボストンの学校に通っていますので、子どもの卒業まで待ちたいというのが一つ。あとはアメリカのグリーンカードもあるのですが、アメリカの国籍を得るまで待ちたいということです。
Q:チェチェンに戻られた場合は、アルハン・カラのご自宅で活動を再開しますか?それともグローズヌイのどこかの病院で?
ハッサン・バイエフ:グローズヌイですね。
Q:その場合はグローズヌイにある公的な病院に行くということで、公務員になるのですか?
ハッサン・バイエフ:基本的にはグローズヌイに形成外科のセンターを開設したいという希望を持っています。形成外科の手術はチェチェンの中で非常に必要とされています。戦争による傷の形成手術も必要とされていますし、火傷も多く、グローズヌイに独自のセンターを開設したいと考えています。そのセンターを実際に開設するためにはたくさんの問題をクリアしなければなりません。お金、スポンサー、器具をどうするかという問題もありますし。そういった形成手術をチェチェンの国内で受けられるようにするということが重要だと思うのです。
今、チェチェンの人々には、どこか遠くに行って手術を受けられるようなお金もない状況です。先ほど申し上げたタガンログという街に連れて行った20人の子どもたちは、母親と一緒でしたが、そうした機会を受けられたことをとても感謝していました。まったくお金がなかったので、そのような手術を受けられるという希望さえ持っていなかったのです。アメリカに「チェチェンの子どもたち国際委員会」という組織があるおかげで、そうした組織からの支援を受けられたおかげで、子どもたちにそうした手術を受ける機会を与えることができました。ですので、日本のみなさんの中にもチェチェンの子どもたちのために手を差し伸べたいという方がいらっしゃいましたら、「チェチェンの子どもたち国際委員会」で募金を集めておりますので、どうぞお願いいたします。チェチェンの子どもたちにとっては本当にかけがえのないものですので。
ハッサン・バイエフ:まず自分の生活がアメリカにかなり深く関わってしまったということがあります。そして、子どもたちにもアメリカでよい教育を受けてほしいと考えています。そうなれば、子どもたちがこれから将来チェチェンで過ごすよりも、子どもたち自身がチェチェンのためにしてあげる可能性の方が大きくなると思うからです。私自身も、やはり市民権があれば、チェチェンに対して、子どもだけではなく、大人も含めて、チェチェンを救うために多くのことができると思います。形成外科センターの開設についてですが、そうしたセンターがあれば、アメリカや日本から優秀な外科医を呼ぶこともできます。そういう体制を整えたいと思っています。
Q:チェチェンの山岳部だけでなく、イングーシでもテロが行われているというニュースが日本でも流れていますが?
ハッサン・バイエフ:たまに衝突などが起きたという話は聞きますが、それがマスコミを介して伝わるときに大袈裟に伝わるのではないかと思います。私もイングーシに行っていますが、平穏に市民生活が営まれているようですので、決してそこが危険であるということではないと思います。
Q:埼玉医大では何を重点的に学ぶおつもりですか?
ハッサン・バイエフ:具体的に言いますと、口唇裂や口蓋裂の手術をどう行っているか、その他の先天的な障害の手術をどう行っているか、そのあたりに関心があります。あとは火傷の手術などもできたら見たいと思っています。また、レーザー手術にも興味があります。多くの先天的な障害をレーザーで手術しているということですので。医療というのは、いろんな手法があって、ほんの細部の違いであっても、それが大きな結果の違いにつながるということがありえることなので、我々医療に携わる者は一生勉強を続けていかなければならないと思っています。日本の医療も非常に先進的なものだと伺っていますので、何かためになるものを学べたらと思っています。
Q:配布資料のチェチェン基礎知識にある内容なんですけど・・・「1万4000人の子どもが身体に障害を負い、新生児の3人に1人が先天的な障害を持って生まれてくる」という、この内容は、チェチェン共和国政府の発表なんですか?また、最新のものですか?
ハッサン・バイエフ:統計には、チェチェンで発表されている統計と国際的な団体が発表している統計がありますが、これはチェチェン国内で取られた統計のようです。
Q:どれくらいの数の子どもが障害を持って生まれてくるのですか?
ハッサン・バイエフ:数字の問題は難しくて、厚生省にデータを依頼したのですが、厚生省には数字をダイレクトに出すなという通達があったのか、出してもらえませんでした。この1万4000人の子どもが・・・という数字は、私の友人で小児科医がいまして、その人のところにこの数値がありました。あと、孤児についてですね、インターネットなどで公表されている国際団体による数値だと思うのですが、2万6000人という数字があります。
Q:今年9月に現地に行かれるということですが、どれくらいの人に治療を行いたいと思っていますか?
ハッサン・バイエフそのときには10日間の滞在で200人の子どもの手術を行いたいと思っています。
Q:グローズヌイで?
ハッサン・バイエフ:はい。
Q:200人の手術を何人のお医者さんでされるのですか?
ハッサン・バイエフ:チームの編成が約26人になる予定ですが、そのうちの5-6人が形成外科医で、麻酔医や看護士など、その他の専門を持った医師も含めています。ですので、形成外科だけではなく、その他様々な疾病に対する診断もしたいと思っています。
岡田:ハッサン医師は4月にベトナムでのミッションにも参加されるということなので、そのへんのお話も。
ハッサン・バイエフ:その計画というのは、ベトナムに4月の初旬に約2週間ほど行って、口唇裂・口蓋裂の子どもたちの手術をするというもので、私自身も手術に携わります。
Q:「オペレーション・スマイル」への参加はベトナムが初めてですか?
ハッサン・バイエフ:チェチェンで行ったのが1回目です。ベトナムは2回目です。その後、コロンビアへも行く予定です。5月の予定です。
Q:ベトナムでは医師免許は通じるのですか?
ハッサン・バイエフ:ハーバードで得ることができた認定証があるので、かなり多くの国で手術を行うことができるようになりました。日本は残念ながらそこには含まれていませんが。
Q:口蓋裂が奇形でとりわけ多いというのは、そういう環境の変化で起こりやすいものなのですか?
ハッサン・バイエフ:基本的に、遺伝的なものと、両親のうちでアル中というかかなりお酒を多く飲む人がいると多くなるそうなのですが、それは戦争のない地域の場合で、チェチェンの場合は、それに戦争の影響やストレスが加わりますから。
Q:そうした障害が多いことはチェチェンの厚生省も認めているのですか?
ハッサン・バイエフ:私自身の経験から言うと、以前はそういう症状はまったく見られませんでした。チェチェンでは、女性はまったくお酒は飲みませんし、男性でもそれほど多くはありません。今は3人に1人がそういった症状を持っているわけです。
Q:生まれてくる3人に1人が先天性障害で、そのうち3分の1がそういう障害ということですか?
ハッサン・バイエフ:それは統計にもあります。産婦人科で働いている友人たちに訊いてもそういう状況で本当に困っているそうです。そういった統計はただし外部にはもらすことが許可されていないようですが。チェチェンではそういった統計が外部に公表されないんですね。
高橋:今もう一度確認しましたが、統計というものはないそうです。3分の1というのは、彼が友人の話を聞く限り、そういう印象を持っているということですね。また、3分の1というのは、先天的な障害を持つ子どもの割合です。
ハッサン・バイエフ:ある子どもは口唇裂と口蓋裂を併発しているだけでなく、心臓の疾患、股間部のヘルニア、首の後ろに何か瘤のようなものがくっついている、という奇形もありました。
Q:そうした子どもたちに対してなぜ手術ができないのですか?何が一番問題なのでしょう?
ハッサン・バイエフ:まず医師の欠乏ですね。ロシア国内の別の病院に連れて行こうとすると、非常に多くのお金が必要です。そういった財政的な余裕がないんです。たとえば21歳や22歳になっても、口唇裂・口蓋裂の手術がなされていないような、青年や女性を見たことがあります。親になぜ手術を受けさせていないかと訊いたら、まったくお金がないからという返事でした。
林克明(ジャーナリスト):そろそろ時間ですので・・・今日はありがとうございました。