ルスラン・ヤマダエフ、モスクワで銃殺される
(9/25 The Moscow Times)9月24日、議員で軍人だったルスラン・ヤマダエフが、モスクワ市街中心部で銃殺された。犯人はロシア議会近くで信号待ちしていたヤマダエフのベンツに銃弾数発を撃って逃走した。ベンツに同乗していたロシアのチェチェン派遣軍のセルゲイ・キズーン元司令官は重傷を負った。
チャンネル1の報道によると、このベンツの持ち主は、ヴォストーク大隊のスリム/やまだ―エフ元司令官(被害者の兄弟)の持ち物だと言う。
ヤマダエフ兄弟は、暗殺されたアフメド・カディロフ大統領(親ロシア派)とのパイプが太かったが、その後は息子のラムザン・カディロフと対立関係にあった。そのため、今回の暗殺事件も関連があると指摘する声もある。
カディロフ同様、ヤマダエフ兄弟もまた、もともとはチェチェン独立派であり、第一次チェチェン戦争ではロシア軍と戦ったが、第二次戦争ではロシア側について、チェチェン第二の都市グデルメスを支配下においた。この見返りに、ヤマダエフらは連邦軍の「ヴォストーク部隊」として活動する許可を得た。また、ロシア英雄章も受章している。
スリム・ヤマダエフはヴォストーク部隊の司令官となり、ルスランは「統一ロシア」から出馬してロシア議会下院議員となり、2003年から07年まで務めたが、チェチェン親ロシア派内部の権力抗争によって再選できなかった。
研究者のセルゲイ・マルケドノフ氏は、チェチェンではヤマダエフ兄弟だけがカディロフの反対者なので、今後はカディロフの支配がいっそう強まるだろうと予測する。
最近、チェチェン検察庁はスリム・ヤマダエフに対して殺人容疑で捜査を開始しており、指名手配リストに載っていた。カディロフ側は、ヤマダエフが法律違反の処刑や、拷問、恐喝および誘拐を行なっているというプレスリリースを次々発行していた*1。
しかし、カディロフのこうした攻撃にもかかわらず、スリム・ヤマダエフはロシア軍とともに南オセチアへ侵攻に参加し、ロシアでの報道に顔を出していた。南オセチアの後、ヤマダエフはヴォストーク部隊を追い出されたが、チェチェンの指名手配リストからは外された。
http://www.themoscowtimes.com/article/600/42/371176.htm
*1:まったく人のことは言えないはず 訳注