私の娘の写真だ

イリーナ・ゴルジエンコ
2010.4.4 ノーバヤ・ガゼータ
http://kiosk.novayagazeta.ru/data/2010/034/29.html

 ルビヤンカ駅で自爆した、自爆犯容疑者と想定されている女性の父親との会話。

 ダゲスタン共和国ウンツクリスク地区バラハニ村の住民、ラスル・シャリポヴィチ・マゴメドフは、インターネットで公開された自爆犯の一人の写真が、自分の28歳の娘、マリヤム・シャリポワだと気がついた。
 マゴメドフがモスクワの報道関係者と連絡を取りたがっていると、ダゲスタンのジャーナリストたちが私に知らせてきたのは夜中の3時。そして4月4日の朝に話ができた。彼によると、数時間前に彼の娘の写真が、「彼女は地下鉄のなかにいた」という言葉とともに送られてきたという。
 それは、ニュースのサイトで広まっている自爆犯の頭部の写真で、捜査当局によればルビヤンカ駅での自爆犯なのだという。
 「私ら夫婦は、すぐにこれが娘のマリヤムだとわかった」と父親は言った。「娘が最後に妻と別れたときに身につけていた赤いスカーフが、写真にも載っている。この数日あの子がどこに居るのかわからないでいた」ラスル・マゴメドフは、まずジャーナリストに連絡をした。というのも、今起こっている事態がすべて公開となることを望み、そしてジャーナリストたちなら、どうして一人娘がルビヤンカ駅にいることになったのかを理解する助けになってくれると期待したからだ。 
 父親は、4月3日土曜日の早朝、地区の検察の仕事が始まると同時にウンツクリスク地区検事のマゴメド・マゴメドフに、しかるべき申し立てを行った。
 ラスル・シャリポヴィチが見間違えた可能性はあるだろうか? 生前のマリヤムを知っている人たちは、役人を含めて何人もが「まちがいなくこれは彼女だ」と言った。
 娘に父親が最後に会ったのは3月26日だった。その翌朝、彼は用事でマハチカラへでかけ、マリヤムと母親も、28日には市場にいくためにマハチカラへ行った。その日の昼、マリヤムは女友達に会うと言ってでかけ、数時間して母親に電話を掛けてきて、「うまくいっているわ、自分で家に帰るから」と言ってきた。その後、両親は彼女に会っていない。
 マリヤム・シャリポワは1982年に、バラハニ村の教師一家に生まれた。父親は地元の学校でロシア語と文学をおしえ、母親は同じところで生物学を教えていた。マリヤムもこの学校を卒業している。その後ダゲスタン国立教育大学に入学し、2005年に数学と心理学で学位を取り、優秀な成績で卒業した。大学を卒業した後でバラハニに戻り、両親と同居しながら、2006年から地元の初等学校で情報学を教えていた。
 「いまでも、信じられない。どういうことが起こったのかが捜査によって客観的に明らになることを切望する。マリヤムがどうやってモスクワに現れたのかもさっぱり分からない。あの子は信心深い子だった。しかし、過激なことを口にしたということは一度も聞いたことがない。あの子が心理的な操作を受けたと言う可能性は完全に否定する。本人が精神科の資格をもっているんだ。村にずっとわたしたちと一緒に住んでいて、学校で教えていた。やましいところはまったくなかった」

 この一家がダゲスタンの治安当局に眼をつけられるようになったのは2年前から。マリヤムの兄の1人イリヤス・シャリポフが2008年の5月に逮捕された。最初は手榴弾を保持していたと言う容疑、次は誘拐への関与、そして違法な武装勢力のメンバーだという容疑だった。8カ月あまり捜査や裁判が続き、その間ずっと、青年はマハチカラ拘置所に留め置かれ、激しい精神的な圧力や残虐な拷問を受けていたという。警察側は自白を求めていた。しかし捜査はなにも証明することができなかった。
 ウンツクリスク地区裁判所は、手榴弾の保持以外のすべての項目においてイリヤスが無罪だと証明し、ダゲスタン共和国最高裁判所もこの決定を追認した(と言っても、手榴弾も拘束の際に彼の所持品に潜り込ませられたと本人は主張している)。
 「そのときから私たちはつねに監視されるようになった。つい最近も捜査官が、イリヤスがまた何か殺人事件への関与を疑われていると知らせてきた。しかし、その事件があったとき、息子は拘置所に勾留されていたという矛盾には、気がついてすらいなかった」とラスル・マゴメドフ。
 バラハニ村の家では何度も家宅捜索が行われ、父親自身、繰り返し尋問に呼びつけられた。その最後は3月4日のことで、そのときFSBの副局長みずから、父親を連れにバラハニまでやってきて、ダゲスタンの内務相アリ・マゴメドフのところに連れて行ったが、結局会えなかった。しかし、彼の娘であるマリヤムが『グブデンのジャマートのリーダー、マゴメダリ・ヴァガボフの妻である』という情報を内務相はつかんでいると知らされた。

 「その日のうちに娘に訊いた、それは本当かと」
 娘は「地下活動などにはまったく関係したことはないし、お父さんに尋ねないで勝手に結婚などしない」と言った。
 マゴメドフの家族をよく知っている人の話では、「マリヤムはおとなしく、自分というものをしっかり持った子で、勉強が大好きだった。学術論文も共著だが3本書いている。だれも決して彼女が過激な発言をするのを聴いたことも、あやしげな振る舞いをするのを見た者もいない」という。
 父親がバラハニ村の検察に届けを出した数時間後に、家族のところに警察官数人がやってきて、いろいろ質問し、娘の写真とその身近な家族の写真を持って行った。警察官たちはマリヤムが仕事をしていた学校にも行き、人事課にあった個人情報を押収していった。

 身元確認のために、モスクワへ来いという提案は家族には届いていない。もう一人の自爆犯、ジェネト・アブドゥラエワの時と同じように、DNA鑑定をする可能性もある。そして ルビヤンカ駅で自爆したのが本当にマリヤム・シャリポワだったと確認されれば、二人の自爆犯の女性が、それに随行していた男性とともに、ダゲスタンのキズリャールからモスクワへと、バスで入ったという説は成立しない。
 キズリャルからモスクワへ長距離バスでは約36時間かかるのに、家族の話ではシャリポワはマハチカラに3月28日の日中はいたというのだから、どうやってモスクワに現れるたというのだろうか?