モスクワ地下鉄連続爆破事件に思う──「私たちは鏡を突きつけられている」

リュドミラ・ウリツカヤ(作家)
2010.4.2 ラジオ・リバティー
http://www.svobodanews.ru/content/article/2001210.html

 地下鉄での連続爆破事件のあと、モスクワの市民は誰もが恐怖を感じていた。しかし、それだけでなく、被害者を助けたいと願う人たちもいたし、怒りに任せて、誰かれかまわず仕返ししようとする者たちもいた。事件直後の夕方、モスクワの地下鉄では、スカーフで頭を覆った2人のタタール人の女性が何者かに殴打された。

 ……なぜ、同じ悲劇に対してこのように異なる反応があるのだろうか。

 これについて、作家のリュドミーラ・ウリツカヤが語っている。

 実際、これは私たちが鼻先に鏡を突きつけられたようなものなんです。自分たちはどういう人間かを見せつけられた。「これが私たちなのだ!」と。私たちはみんな、それぞれに異なっています。ニューヨークに住んでいる友人たちが、あの9.11のあと、どんなことが起きたか 話してくれたことがあります。その日、マンハッタンのすべてのカフェやレストランの主人たちは、店を開放して、道行く人みんなに食事を出し、水を与えたと。そこに、町中から人々が手伝いにやってきた。
 わたしたちは、アメリカ人がこんなことをするとは、夢にも思っていませんでした。彼ら自身だって思ってもいなかったでしょう。実際は、あのような不幸に落ちたとき、人々はその持てる良い部分のすべてを発揮することになったんです。
 こういう緊急事態には、社会のすべてが──最も良いこと、もっともひどいことが、両方とも──同時に、表面に現れてくるものです。それどころか、同じ一人の人間のなかでも、様々な衝動が沸いてきます。
 今朝、私は地下鉄に乗りました。ベンチには、まだ22歳ぐらいの、ムスリムの若者が座っていました。その1人は、緑色の手編みの帽子をかぶっています。これは、急進的なイスラムの象徴的な服装です。その横においてあったのは……トランクです。
 わたしは、立ち止まりました。その2人を眺めて、思ったんです。まさに……すべての特徴があてはまるわ! こういうものなのねと。こういう人たちなんだわ。
 その人たちがテロリストだと疑ったわけではありません。ただ、こういう風なのかもしれない、と想像したんです。その時、若者の1人が立ち上がって、私に席を譲ってくれました。私の白髪に気づいたんです。
 座らせてもらったことで、少し調子が狂いました。というのも、この頃の男の子たちは、よほどのことがないと席を譲ってなんかくれないからです。
 ほんの数分の間に、少し恐怖も混じった不安感から始まって、なんだか感謝したくなる気持ちまで、ありとあらゆる感情が湧き起こりました。それには、自分の反応に対する恥ずかしいような気持ちもありました。そういうすべてを、同じ一つの心の中に感じたのです。

 わたしたちは、自分の中で起きていることを、注意深く考えて見なければなりません。こうした状況は、まず私たち自身がどんな人間であるのかを見せてくれるからです。そして、思いがけない自分が見つかるのです。個人がそうであるように、私たちの社会そのものも同じように、自分の姿を見ることになるのです。