アンヴァル・シャリーポフが語るもの──

(自爆犯とされた女性の兄で、テロ事件の主犯容疑をかけられている)

http://www.novayagazeta.ru/data/2010/038/14.html
ノーバヤ・ガゼータ 2010年4月12日 イリーナ・ゴルジエンコ

 爆破の実行犯と報道されているマリヤム・シャリーポフは、グブデンスク武装勢力のリーダー、マホメダダリ・ワガボフの妻だったとされている。ところが、マリヤムが住んでいたバラハニ村を担当していた連邦保安局(FSB)の幹部はこう言う。

 「そういう未確認情報はあったが、たんなる噂話や中傷でもなんでも入るのが未確認情報だ。あてにはできんよ」と。同時にこの幹部は、マリヤムの2人の兄弟は何らかのかたちで地下活動とからんでいると主張した。今、兄アンヴァルとイリヤスは「自爆犯の女性を幇助した」容疑で連邦指名手配になっている。

 ダゲスタンの捜査当局は、下の兄イリヤスがゴツァリ村での強盗事件に関係していたと主張している。これは3月4日の事件で「ロシヤ郵便」の現金輸送車が覆面をした数人に襲われたというものだ。しかし、イリヤスはその日、妻のアシヤトの健康診断のために病院に連れて行っていて、そのことは病院の人たちが証言できると言う。

 イリヤスは2008年の5月にも、2つの容疑で逮捕されそうになった。1つは誘拐事件。しかし「証拠不十分」で、この事件の捜査は中断された。2つめは武器の不法所持。手製の手榴弾が押収され、違法な武装勢力との結びつきが指摘された。しかし、ウンツクリスク地区裁判所も、ダゲスタン最高裁も「復帰の権利あり」として無罪判決をくだした。

 捜査や裁判が行われている間、イリヤスはマハチカラの留置所で拘束されていた。このときの公式の鑑定書に、身体に殴打の跡があったと記されている。これについては親族が証言してもいる。半年後、イリヤスは釈放された。

 マリヤムの長兄、アンヴァルはテロ事件が起こるまで、モスクワに住んでいた。モスクワの爆破事件のひとつがマリヤムが起こしたことだと明らかになったあと、アンヴァルは連邦指名手配となった。捜査当局は、まずアンヴァルがモスクワで妹を迎え、地下鉄に連れて行ったとしている。そしてアンヴァルは逃亡した。記者は隠れているアンヴァルと連絡をとることができた。わたしの質問に対する彼の答えのすべてを省略することなく記載する。

「地下鉄の爆発事件についてはニュースで知った。そのときは、これに妹がかかわっているなど想像もつかなかった。あの子がモスクワに来ようとしていることも知らなかったし、いまでも彼女がもうこの世にいないとは信じがたい。妹の死を望む兄なんているわけないだろう。私はずっと以前にモスクワに家族と一緒に出てきて、ここで平穏に暮らし働いている。わたしが故郷を出たのは過去ときっぱり縁を切って、新しい生活を始めるためだ。

 爆破があった日、わたしは朝10時過ぎに家を出た。そのあと事件の時まで、私がどこにいたか、1分刻みに証言できる。証言者もいるし、電話の交信記録でも、モスクワ市のいたるところにある監視カメラでもこの間のわたしの居所は証明できる。今は、すべてをわたしの罪にしようとしている。だれも真相をつかみたいと思っていないようだ。捜査当局は、それらしい説が必要なだけで、私はその生け贄だ。実際になかったことを証明する必要がある時に、尋問でどんな方法が使われるか私は知っている」

 このアンヴァルの話で、「過去ときっぱり縁を切る」「尋問でどんな方法が使われるか知っている」という言葉があった。調べてみたところ、アンヴァルの過去はなかなか複雑なものだった。

 彼はかつて、ギムラ村のイスラム急進派との関係をもっていた。彼の友人の多くが、特殊作戦で殺害され、多くは今も森に隠れて、警察を襲撃する機会を狙っている。この急進派のジャマアトはギムラ村出身のガジマゴメド・マゴメドフが作ったものだ。彼は第1次チェチェン戦争で戦った経験があり、ダゲスタンの地下活動家の重鎮で、2005年にはワハビズム(北コーカサスイスラム急進主義)の信奉者として、監視対象の筆頭だった。その一方ガジマゴメドはダゲスタンの議会の議員であり、さらに、FSBのエージェントだった。

 ワハビズムへの個人的な忠誠を育てるガジマゴメド・マゴメドフのやり方は、独特なものだった。まず、その人物を治安当局につきだす。治安当局は伝統的なやりかたで、容赦なく痛めつける。そこにガジマゴメドが介入し、半死半生の目にあった青年を救い出す。 救い出された青年が恩人を忘れることはない。自分を治安当局に着き出したのが誰なのかは分からないままだ。

 アンヴァルも2005年にまさにこれをやられた。マハチカラで治安当局によって誘拐され、天上から逆さまにつるされて、夜通しむごい拷問を受けた。そのあと林に捨て置かれた。その後はアンヴァルはどうにかこうにか彼を誘拐させたのが誰なのかをつきとめ、この集団と縁を切った。

 このようなやり方に対して、ガジマドメドフはその森の仲間に殺された。

 指名手配されていたアンヴァルは、2006年に恩赦された。「彼は殺人に関係ない」と治安当局は言った。2007年に、彼はモスクワに家族と移住した。今の妻は、ダゲスタンの伝統のスカーフさえかぶったことがない。

 シャリポフ兄弟がモスクワのテロ事件に関わりがあるとする説には、ダゲスタンの治安当局さえも疑念を呈している。この兄弟はワハビズムとの関わりを疑われて監視はされていたが、モスクワの事件の規模は、この兄弟が関わるようなちゃちなものではない。

 またダゲスタンの治安当局は、モスクワの地下鉄での爆破は強制的におこされたものだと疑っている。それによると、「彼女たちは鞄を運んでくれと頼まれただけで、それを携帯電話からの信号で爆破させることができた。爆破が駅で起きたのは、トンネルの中では携帯電話の電波が届かないからだ。彼女たちの動機が復讐なら、何もあんな遠くまで行く必要はなかった。しかし、捜査をしているのはモスクワだ。モスクワは我々の言うことなど聞く耳をもたない」

 どうして、マリヤムの兄弟について私がこんなに詳しく語るのか? 彼らは自爆犯の幇助をしたとされており、しかもアンヴァルは主犯格にされている。これは(当局にとって)とても都合のいい説で、彼の過去を考慮すると本当っぽく聞こえる。しかし、私が求めるのは真相まがいではなく、真相なのだ。

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