「メモリアル」人権センターによる2009年秋の報告書

欧州連合の次期人権会合に向けた報告
北コーカサス紛争地の情勢』

以下は、チェチェンは平和ではない、の論証続きです。人権侵害の事例が、おそらく殺害された人権活動家、ナターリヤ・エステミーロワの調査に基づいて記述されています。

http://www.memo.ru/2009/11/17/1711092.htm#_Toc246917060
Report for the next round of consultations on Human Rights
European Union - Russia
The situation in the conflict zone of the North Caucasus
June 2009 - October 2009
Moscow 2009

チェチェンに関して:

 2009年夏期(6-8月)の期間の公開情報を集約すると、この間にロシア治安当局側には142人の死亡者があり280人の負傷者が出た。これは、ここ5年間の同時期の比較の中で、最大の損害である。最大の事件は52人が死亡し、102人が負傷した事件だが、これは4月に「対テロ作戦体制」が解除された後で発生したことを特記しておきたい。

 イングーシとダゲスタンの内務当局への批判が高まっていく一方で、連邦当局はチェチェン共和国政府に対しては一度も警告を与えなかった。そればかりか、9月15日には、ロシアのメドベージェフ大統領が、国際会合の場で「チェチェンのカディロフ大統領の働きに満足している。彼は他人が言うような悪漢ではない」と発言するに至った。

 とは言うものの、この夏は連邦武力省庁(シラビキ)にとって、最悪の損害が出た時期でもあった。昨年夏と比較すれば、倍以上の人員が失われた。イングーシに限っては1.5倍、ダゲスタンに至っては4倍にものぼる。

 紛争の「チェチェン化」という政策は、昨年の武装抵抗運動に大きな影響を与えた。しかし明らかに、共和国の治安機関は疲弊しはじめており、ラムザン・カディロフ大統領(親ロシア派)の「すべての敵を排除せよ」という命令を遂行することができていない。つけくわえると、この全体主義的な政権は、恐怖と暴力によって成立しており、結果として新たな抵抗を作り出してしまっており、若者たちのかなりの部分が、山岳で武装勢力(バイビキ)に参加している。治安機関はこの状況の親展に極めて敏感になっており、非合法の暴力の回数が加速度的に増えている。こうした暴力はきわめておおっぴらに、示威的に行われており、誘拐(強制失踪)の事件数は増加する一方である。

 2008年に、メモリアルが集計した誘拐の件数は、チェチェン全体で42人だった。(言うまでもなく、完全な数字ではない)そのうち21人が、虐待を受けたのち、釈放または身代金と引換に戻され、12人がそのまま失踪しており、5人が収容所のなかで『発見された』。
 
 そして、本報告書が対象とする2009年の9カ月間に、チェチェン内での誘拐は86人にのぼり、うち57人が虐待を受けたのち、釈放または身代金と引換に戻され、9人が殺害され、16人が失踪、4人が収容所のなかで発見された。

 誘拐事件をめぐる状況から、各事件に国家が関与していることは確実である。

 チェチェン共和国政府は、違法な暴力を行うにあたってのガイドラインすら公表しており、違法な処罰もこれに含まれている。メモリアルは、チェチェン大統領がイスラム寺院で、これについて演説しているテレビ番組の記録を保有している。これは5月23日に、「グロズヌイ」チャンネルで放送されたもので、彼は次のように語った。

 「私はアラーの名において誓う! ワハビストたちは遠からずチェチェンから殲滅される。アラーの名において誓おう! チェチェンで生きることを許されるのは、わが子を家に呼び戻した者だけだ。だが私生児を家に招き入れた者は、投獄か、処刑だ。・・・逮捕したり、投獄するだけではまったく足りない! 殺さなければならない! そしてその者の名前を口にすることも、決して許さない!」

 違法な処罰はどのような正当化も許されないだろう。たとえ、テロリストに対するものであっても。しかし、カディロフは公然と、特定の傾向のイスラム(ワハビズム)や、そのように疑われた人々に対して、「逮捕」ではなく、「殲滅 eliminated」という語を使っている。上の言葉の中でカディロフは、武装勢力に加わった者の、家族を威嚇しているのである。

 親ロシア政権の高官A・デリムハノフは、「武装勢力に関係していると疑われた者だけでなく、それらを心情的に支援しているだけでも、殲滅に値する」と発言している。このような状況の中で、非合法処刑は公衆の面前で行われている。

 6月7日、あきらかに行政当局から派遣された部隊が、アフキンチュ・バルゾイ村の住民であるリズバン・アルベコフと、その息子アジスを誘拐した。その日の深夜、迷彩服を着た一隊が自動車で村にやってきて、村の中心部にいた人々の前で自動車を止めた。彼らは車の中から、ひどく殴打されたリズバンを引きずり出し、尋問をした。「お前はバイビキ(武装勢力)を助けたか」と。リズバンはそれを否定した。

 否定したにもかかわらず、兵士たちは何度もリズバンを銃で撃ち、「武装勢力を助けた奴はみんなこうなるんだ」と、まわりの人々に警告した。人々はこの事件を、地元の検察当局に訴え出た。

 アルベコフ銃殺事件は、メモリアルの人権活動家、ナターリヤ・エステミーロワが調査を続けていた、類似の事例の一つにすぎない。この事件は、彼女が生きている間にメモリアルのサイトに掲載され、その後エステミーロワは何者かに殺害された。そして、エステミーロワが殺害された直後に、父親と同時に誘拐されていたアジズ・アルベコフが解放された。

 この事件は殺人事件として記録されることになったが、責任をとった者は誰もいない。ある情報によれば、この事件を起こしたクルチャロフ地区ROVD(内務局)の隊員たちは、捜査から遠ざけるために訓練場に送られた。

 チェチェン共和国領内では、共和国当局の指揮による誘拐が蔓延しており、これらは、ロシア連邦が加盟している数々の条約や、議定書に違反していることは言うまでもない。

 7月6日、チェチェンの「グローズヌイテレビ」は、グローズヌイ市長ムスリム・フチエフと、武装勢力に参加したと疑われ、誘拐された人々の家族との会談の様子を放送した。(メモリアルは、この放送の録画を保有している)

 アナウンサーは次のように語っている。「フチエフは次のように宣言しました。これにより、今日以降、武装勢力によるテロ活動があった場合、それに参加した者の家族も、責任を負うことになります」

 フチーエフは「昨日、カディロフ大統領もこれについて語った。今日以降は、あなたは自分の地域の安全に責任を持つことになる。スタロプロミスロフスキー地区であれ、レニンスキー地区、オクチャブリスキー地区であれ。武装勢力(Shajtans)が関わった事件、犯罪には、犯人の父も、母も、兄弟姉妹、すべてが責任を負わなければならない」と、番組の中で話した。

 政府高官によるこの種の声明は枚挙にいとまがなく、単なる脅しにとどまるものでもない。いくつかの例を挙げよう。

 2009年6月18日、エンゲルユルト村のヌラディロフ通りで、共和国当局の軍人が、バイスーエフ家の2軒の家を焼いた。シェイフ・バイスーエフが、武装勢力に加わっていたからだ。この家に住んでいたのは、シェイフの父サイード・マゴメッド(74歳)と、母のナーザン(69歳)だった。放火のあとも、軍人たちは家が完全に崩壊するまで、その場を立ち去らなかった。

 6月29日の明け方、同じように当局の部隊が、シャリのウラルスカヤ通りにあるマゴメッド・ダディロフの家にやってきて、マゴメッドのの4人の子どもを縄で縛って外に追い出し、家を焼いた。マゴメッド自身は前夜のうちに逮捕されていた。容疑は武装勢力に協力していたことである。

 また、シャリでは武装勢力参加者の父親に対する報復も起こっている。ユスープ・アスハボフは、市街中心部で殺害された。治安部隊は、バラバラになったユスープの遺体を、家まで運び、庭に投げ入れた。そこにいたユスープの父のデニルベクは、知的障害があったが、息子の遺体に近づいたとき、治安部隊員たちが殴打をし始め、やがてユスープの母まで、蹴ったり、銃底で殴るなど、暴行がエスカレートしていった。

 デニルベクはシャリ市街中心部まで連れていかれ、公衆の前で、再び暴行が始まった。治安部隊員たちが去ったあと、デニルベクは病院に運び込まれ、応急手当てを受けたが、病院の医師たちは、暴行を証拠づける診断書を書くことを拒否した。デニルベクは脳震盪を起こし、記憶を喪失している。

 こうした人権侵害にはチェチェン共和国政府の中枢が関与しており、当然、ロシア法においても許されざる行為である。

欧州人権裁判所の裁定

 これまで、欧州人権裁判所は、北コーカサスでの人権侵害について、120の裁定を下しており、そのうち116件はチェチェン住民に、4件はチェチェンの隣国イングーシに関するものである。120件のうち、人権侵害と認められなかったものは1例にすぎず、その他すべてのケースについて、裁判所はロシア政府が欧州人権議定書に違反したものとして、被害者への賠償を要求している。

 裁定のうち2/3はチェチェンでの強制失踪についてのものであり、その他の多くは違法処刑、無差別爆撃/攻撃、拷問、財産の略取に関するものである。今に至るまで、ロシアではこれらの事件の責任者は処罰されていない。ロシア政府は、裁判所の裁定の実行のために、何をしているのか?

裁判所への申立人(=被害者および遺族)は、金銭的賠償を受け取っている。犯罪事件としては、新たにロシア国内で立件されている。しかし、捜査はさしたる理由もなしに停滞しているのが実状だ。