#417 ドック・ウマーロフとは誰か?

チェチェンニュース(転送・転載・引用歓迎)


 ソチオリンピックの開会を控えたロシアで、もっとも危険なおたずね者と言えば、チェチェン人の野戦司令官であるドック・ウマーロフです。

 最近も、チェチェンのカディロフ首長(親ロシア派)が、「ウマーロフは死んだ」と息巻いていますが、今までも何回も死亡が報道されてきました。( http://d.hatena.ne.jp/chechen/20140119/1390127618 )

 今回のチェチェンニュースでは、少し古い情報ですが、基本情報としてウマーロフについての人物紹介をお届けします。情報源はラジオ・リバティーの古参記者、リザ・フューラーです。


■ドック・ウマーロフとは誰か?

(リザ・フューラー / RFE/RL 2010/4/1)

 チェチェン抵抗勢力司令官ドック・ウマーロフは、3月29日のモスクワの地下鉄爆破事件(39人の死亡者を出した)に対して犯行を声明した。

 ウマーロフは、1994年のロシアーチェチェン戦争の最初から参加しているベテランのゲリラとして知られており、平の戦士から昇格して、現在は北コーカサス全域に渡る抵抗勢力の野戦司令官になった。ロシアからのチェチェン単独での独立を追求する立場を捨て、北コーカサス、南ロシア、ヴォルガ地方一帯を、イスラム国家として独立させることを目標としている。

 また、当初は否定していたテロリズムについても方針を変更し、2010年にはロシア軍や治安部隊がチェチェン人から組織的に略奪を続け、苦痛を与えることに対して「ロシア民衆が無関心であるなら」、武力の行使はやむをえないと声明した。

 ウマーロフは1964年に、チェチェン南部のシャトイ地区、ハルセノイ(Kharsenoi )村のインテリ家庭で生まれ、グローズヌイにある石油大学の建設学科を卒業した。2005年にラジオ・リバティーに語ったところでは、モスクワ在住の1994年にロシアーチェチェン戦争が勃発し、すぐに国を愛する者としてチェチェンに向かって闘いに参加した。

□迅速な昇格

 1994ー96年の第一次戦争、そして1999年ー2000年の第二次戦争を通じて、ウマーロフは活発に活動し、経験豊富かつ勇敢な司令官としての評判を獲得した。何度か負傷し、顔面と顎の外科手術を受けている。2005年の春には地雷を踏んで負傷したが、この後も負傷したという報道がある。

 第一次戦争が終結したハサブユルト和平合意のあと、1997年にチェチェンの大統領に選出された元ソヴィエト軍大佐アスランマスハドフは、ウマーロフを安全保障会議書記に任命した。そのため、1998年のマスハドフや穏健派とイスラム過激派との対立の際にはマスハドフ側に立って鎮圧活動に参加した。

 1999年からの第二次戦争中、ウマーロフは南西戦区で司令官を務めた。2005年にマスハードフが暗殺され、その後継者となったアブドゥル・ハリム・サドゥラーエフは、ウマーロフを副大統領に任命した。そして2006年にサドゥラーエフが暗殺されると、あとを継いで大統領となった。そのさい、マスハードフの息子のアンゾールは亡命先の北欧から、「チェチェンおよび近隣諸国で闘うすべての戦士は、ウマーロフに従ってもらいたい」と発言し、後継者としての正統性を示した。

 2005年はじめ、ウマーロフの父親、兄弟、妻、そして幼い子どもがチェチェンの傀儡政府当局に拘束され、人質となった。彼によると人質となった親族は2006年に解放されたという。父親は2007年に死亡したが、その状況は明らかになっていない。

 2006年ウマーロフは武装抵抗勢力の戦線を北コーカサス外の2地域に設定した。ヴォルガとウラル地域である。

□心変わり

 2007年末、ウマーロフはチェチェン独立のイデオロギーを破棄し、北コーカサス全域にわたるイスラム国家の首長を名乗り始めた。この背景には、武装抵抗勢力内でのイスラム主義派からの圧力が強かったためという指摘もある。わずか2カ月前には、イチケリア・チェチェン共和国独立記念日を記念する声明を出していたので、大きな変心と言える。

 すくなくともマスハードフの暗殺まで、ウマーロフは抵抗勢力の中では穏健派に属しており、市民に対するテロリズムには慎重な立場だった。2005年のインタビューでは、はっきりとテロリズムを戦術にすることに反対していた。

 「もしもそんな手段を使ったら、われわれの誰一人として、人間の顔をしてはいられないだろう」。彼が特に批判していたのは、2004年の北オセチア、ベスラン学校占拠人質事件だった。

 しかし最近のウマーロフは、北コーカサス以外の土地での、市民生活を対象とした破壊工作はもとより、自爆攻撃など、市民を標的としたテロリズムさえも許している。

 和平交渉を呼びかけるために、ロシアに対する一方的停戦を実行したマスハードフと違って、ウマーロフはロシアとの公式の対話をまったく求めていない。いくつかのビデオでは、北コーカサスでのロシアのプレゼンスを粉砕すると約束しているほどだ。


 2009年4月に開かれた上級野戦司令官会議を要約したビデオによれば、ウマーロフは「リャドゥスーサリヒーン殉教大隊」の復活を宣言した。死亡した有名な野戦司令官シャミーリ・バサーエフが組織していた部隊である。

□増加する目標

 またウマーロフは、指揮下の戦士たちがロシアの警察や軍部隊だけでなく、交通機関インフラストラクチャーをターゲットにする場合があると警告した。実際、ロシアで起こったいくつかの爆破事件に対して犯行を声明している(正確には「責任を負う」としている)。2009年の水力発電所爆破、27人が死亡したネフスキー急行爆破事件である。ウマーロフはネフスキー急行爆破事件について、「これは始まりに過ぎない」とした。

 ロシア政府はチェチェン過激派による列車爆破を非難しているが、水力発電所の爆破に関しては、犯罪ではなく、技術的な問題から発生した事故だとしている。

 2010年2月、ウマーロフは北コーカサスの解放だけでなく、クラスノダール、アストラハン、そしてヴォルガ地方も解放すると宣言した。このときのビデオ演説では、ウマーロフは現在の抵抗勢力の人数について、1万人から3万人程度だと言及。ジハードに参加しようとする者すべてに訓練をするには至っていないが、参加している戦士たちは、「現在の状況に対して完全に対応できる能力がある」という。

 2010年3月29日のビデオでは、モスクワ地下鉄で起こった二件の自爆攻撃についての責任を認めるとともにこれを「正当な報復行為」と定義した。それは2月に、チェチェン・イングーシ国境地帯で、地方の特産品である行者にんにくを摘むために山中に入ったチェチェンの人々を、警察と保安部隊が殺戮したことに対する報復だという。ロシアの人権団体の調査によれば、ここで殺害された人々は至近距離で銃殺され、その遺体は切り刻まれていた。

 ウマーロフは、テロリズムの行使は一定の批判を受けざるをえないという認識を示した上で、「こうした批判をする人々は、ロシアのプーチン首相(当時)がこれまで行ってきたチェチェン市民の虐殺を批判することはないだろう」と言った。

http://www.rferl.org/content/News_Profile_Who_Is_Doku_Umarov/1999886.html

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