IC-RCFS: ロシア・チェチェン友好協会情報センタープレスリリース(#1276-1282)

PRESS-RELEASE #1276 FROM MAY 7, 2005

アチホイ・マルタンの住民が誘拐された

5月5日の日中、アチホイ・マルタン地区の住民サイード・マゴメッド・スサーエフ(1983年生まれ)が、街路を歩いていたところ、所属不明の部隊に拘束された。迷彩服を着た兵士たちは、彼の目の前に車を止め、機関銃の銃底で何度か殴って車に押し込み、いずこかへ連れ去った。数時間後、同じ一団がまたあらわれ、スサーエフの持ち物の6型ズィグリを奪っていった。今日、スサーエフの親族はロシアチェチェン友好協会の記者に対して、彼の行方も何もわからないと訴えた。一方、アチホイ・マルタンの中心部では、対ファシストドイツ戦勝祝賀60周年のセレモニーが行われた。第二次大戦の退役軍人たちは、地区行政部からの贈り物を受け取った。本来ならば5月9日が公式の戦勝祝賀記念日だが、チェチェンではモスクワに任命された大統領のアフメド・カディロフが昨年殺害されたために、服喪の日となっていた。

PRESS-RELEASE #1277 FROM MAY 8, 2005

シャトイでけがを負った民兵が釈放された

5月7日、2人のシャトイ地区警官(ROVD)、ヴィジート・サパダエフとゼルミハン・デミルハノフが解放された。彼らはシャトイで数日前に誘拐されていて、発見されたのはグロズヌイ近辺の農地だった。犯人たちは、彼らを撲打してから解放した。ふたりは動くのも難しい容態だ。彼らに何が起こったかはまだよくわかっていない。ロシアチェチェン友好協会情報センターは以前報じたが、サパダエフとデミルハノフは5月5日の午後にシャトイ・グロズヌイ道路で、所属不明の部隊の数台の自動車に包囲され、誘拐されていた。
一方、シャトイ地区長の義理の娘、ズーラ・イスラピローヴァの行方は今もわかっていない。彼女は5月5日の午後3時に、シュズイ村の自宅で所属不明の部隊に誘拐されていた。

シャトイ・子どもたちのアートコンテスト

5月7日、子どもの芸術グループのコンテストが、シャトイ地区中央にある第二学校で開かれた。これは対ドイツ戦勝祝賀六〇周年記念日に捧げられたもので、「シャトイ地区学校」が賞を受けた。

PRESS-RELEASE #1279 FROM MAY 12, 2005

イングーシから:「コロス」キャンプが洪水被害

5月9日から10日にかけての夜間の洪水により、イングーシのカラブラク地区にあるチェチェンの難民キャンプ、「コロス」が大きな被害を受けた。スンジャ川が大きく湾曲している地点で、水があふれたのだ。キャンプの住民たちによれば、その時ほとんどの住民は眠っていた。水の音で目が覚めた人々はすぐに家から飛び出した。強風と雨の中、人々は高いところに逃げた。結局彼らは5時間のあいだ、屋根もなにもないところにいなければならなかった。午前8時にぐっと下がったが、あとには大水で壊れた家屋と貧しい家財だけが残った。「コロス」キャンプは川からわずか十メートルほどのところにあり、堤防もなかった。2003年にも同じようなことがあった。水位は一時的に1メートル20センチにもなった。住民たちは奇跡的に命が助かったわけだが、この人々は戦争の間中守っていた家財をこれで失った。

PRESS-RELEASE #1280 FROM MAY 12, 2005

ドゥバ・ユルトで誘拐された障害者の遺体が発見された

5月12日、グロズヌイの農村地域、ドゥバユルトで、サイードフセイン・エルムルザーエフの再埋葬が行われた。エルムルザーエフはこの村で誘拐されたうちの一人だった。彼の遺体はグロズヌイ近郊のイリーノフスカヤの住民が、9日に見つけた。チェチェン・ロシア友好協会情報センターはすでに伝えたが、(see #1232 from 4 April 2005 and #1241 from 10 April 2005)隻足のサイードフセイン・エルムルザーエフ(1944年生まれ)は、彼の息子、スリム・エルムルザーエフ(1978年生まれ)とともに、今年4月1日に所属不明の部隊によって誘拐された。5月9日に、イリーノフスカヤ集落で、暴行を受けた跡のあるサイードフセインの遺体が発見され、いったんそこで埋葬された。埋葬される前に撮影された写真が、親族たちが遺体を確認する手がかりになった。その後、遺体の所持品などからも確認された。エルムルザエフがなぜこんな運命をたどったのか、わかっていない。

スタール・アタギでの交通事故、軍関係

5月12日に、グロズヌイ近郊のスタール・アタギで、(ロシア軍の)戦車回収車が事故を起こした。検察局の職員は現場検証を行い、目撃者などからの情報を聞き取った。収集された情報によれば、午後2時に回収車は一群の車両とともに、グロズヌイ−ドゥバユルト道路を早い速度で移動していたのだが、突然、対向車線に飛び出した。その結果、向うから来た「ヴォルガ」に衝突した。これにより14歳の少女が即死し、ヴォルガに乗っていた4人が重傷を負った。

PRESS-RELEASE #1281 FROM MAY 12, 2005

ヴォルガの運転手が死亡

5月12日(ママ)、グロズヌイの第9病院で、マイルベーク・ハヌカーエフが死亡した。昨日の午後2時に戦車回収車に衝突されたヴォルガの運転手である。即死した14歳の少女に次いで、事故の犠牲者は2人目になった。なお3人が治療を受けており、問題のヴォルガはまだ病院に置かれたままだ。
チェチェン副検事アンドレイ・セルゲイチェンコは、ロシアチェチェン友好協会情報センター記者のインタビューに、ロシア連邦刑法350条に従い、軍の犯罪への追及は行うと答えた。現場検証を行った警察職員たちは、この件が殺人になるか、過失致死になるかについての答えを避けた。法律によれば軍の起こした事件は軍内部の司法によって裁かれる。

PRESS-RELEASE #1282 FROM MAY 12, 2005

オクチャブリスコエの住民が誘拐された

5月11日の午後1時ころ、迷彩服を着て、フェイスマスクをした所属不明の一団が、ヴェデノ地区、オクチャブリスコエのトパル・ゲラニエヴィッチ・イサーエフ(1966年生まれ)を自宅から連れ去った。12日になっても、彼の親族たちのところには、何の情報も届かない。

地崩れでエリスタンギ村の道路不通

現在、ヴェデノ地区のエリスタンギ村は、地崩れによって交通がとぎれている。5月10日以来の大雨の影響で、土砂が道路の大部分を覆っている。