「ソ連式」弾圧復活か 反体制派に精神医療乱用

2007年8月25日 東京新聞

 ロシア 強制入院/暴行/薬物を投与
 4月のデモ後 内務省が指導?


 民主化の後退が著しいロシアで、今度は反体制活動家が一カ月半も精神病院に強制入院させられたことが発覚、人権団体や野党関係者らに衝撃を与えている。ロシアは旧ソ連時代に精神医学を政治弾圧の手段に乱用し、国際的批判を浴びた。封印されたはずの忌まわしい抑圧手法がプーチン政権下で復活しつつあるのか―。 (モスクワ・常盤伸)


 この活動家はプーチン政権を批判する元チェス世界王者カスパロフ氏が率いる反体制組織「統一市民戦線」ムルマンスク支部の活動家ラリサ・アラプさん(四九)。六月上旬、ロシア北部ムルマンスクで開かれた集会で反政権演説をし、同戦線の機関紙では精神病院の患者に対する非人道的な治療実態を痛烈に批判していた。

 そんなアラプさんが行動の自由を奪われたのは七月五日、ムルマンスクの公立病院を健康診断で訪れた時だった。「あのアラプさんですね」。医師は氏名を確認し、しばらくすると警官から理由も告げられず精神病院に強制入院させられた。

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 病院ではソ連時代を思わせる過酷な措置が施された。アラプさんが抵抗すると殴るなどの暴行を加えられ、ベッドにしばりつけられて薬物が投与された。抗議のためハンストに入ると点滴で強制的な栄養摂取。薬物の影響で目はうつろになり、言葉も不自由になった。

 家族の告発に対し、主要メディアは当初黙殺したが、七月末に一部メディアが伝え、国内の人権団体が抗議の声を上げた。「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」(本部ニューヨーク)など国際人権団体も深刻な懸念を表明。これを受け、モスクワの人権活動家、ルキン氏や独立精神医学協会が現地で調査を行い、「入院に根拠はない」と非難した。

 反響の拡大に驚いた病院は今月二十日、アラプさんに突然、自宅療養を命じた。

 旧ソ連での精神医学の乱用を一九七〇年代初頭に告発した元ソ連反体制派作家のブコフスキー氏は亡命先のロンドンから「これほど恥知らずな手法はソ連時代でもまれだった。精神医学の乱用が復活している証拠だ」と本紙に語った。

 独立系紙ノバヤガゼータのポドラビンニク評論員によると、ソ連で精神医学を悪用した反体制派や人権活動家の弾圧が頻発したのは六〇、七〇年代。粛清したり、裁判を経ず「効率的」に活動を封じ込め社会的信用を失墜させる狙いがあり、共産党政治局の判断で治安機関が実行した国家的な抑圧システムだった。ソ連崩壊の九一年まで基本的には継続されたという。

 自宅に戻ったアラプさんは同紙に「私の事件は例外ではない。ロシアでは精神医療施設は弾圧機関だ。むかしのシステムが復活しつつある」とやつれた表情で語った。

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 代表的な人権活動家ポノマリョフ氏も地方では活動家への同種の事件が起きていると指摘。「反体制派を異常者扱いにするソ連時代のような風潮が戻っている。当時のように政権が直接指示しなくても、地方の医師と治安当局者がそうした雰囲気を感じ取り、むかしながらの手法を復活させているのだろう」

 一方、ブコフスキー氏は、間接的ながら政権の関与を主張する。反政権連合体「もう一つのロシア」が四月にモスクワなどで実施した街頭デモが治安部隊から粉砕され、外国人記者らにも負傷者が出たことから国際的批判が噴出。このためな「内務省が地方の治安担当者をモスクワに集め、暴力的手法よりも精神医学の利用が効率的だと指導した」というのだ。

 「統一市民戦線」はアラプさんの事件を犯罪として刑事告発する方針。しかしポドラビンニク氏はソ連時代、精神医学による弾圧に関与した主な関係者は全く責任を問われず、今も重責を担っていると警告した。

 「ますます非民主的な方向に進むロシアでは、精神医学を利用した弾圧システムを復活させようと思えば簡単だ。欧米など各国が強く抗議することしか阻止する方法はないだろう」