在日ビルマ人民主化活動家ハンガーストライキ
今日、在日ビルマ民主化活動家のメンバーがハンガーストライキをしている東京・渋谷の国連大学前に行ってきました。私が立ち寄った時間帯には、国連大学側の歩道に、プラカードやメッセージを掲げたビルマ人が20人ほど椅子を並べて座っていて、車道側の歩道で、日本人が何人か黙々とカメラを回したり座ったりしていました。ビルマの人たちとは30分ほど話ができたので、以下に簡単にまとめてみます。(邦枝)
彼らは何を求めているか
まず、短い会話の中で彼らが何度も強調していたことは、彼らが求めているのはビルマの民主化であり、彼ら自身の難民認定ではないということでした。彼らの願いは、ビルマに帰ることで、日本で一生を終えることではない、というのがその理由。ただ、こうした説明を、彼らが初めて出会う日本人に繰り返しているのだとすれば、それはかなり皮肉なことだと思います。私たちは、異国の軍事政権に対して彼らのために怒りを覚えることはできても、自国の政府の責任を彼らのために追及することはできない(実際はその軍事政権を支えているのが日本政府だったりもするわけですが)。いずれにせよ、日本政府を批判する運動は日本国民に支持されないというのが、19年にわたる在日ビルマ民主化運動の結論なのだとすれば、彼らの説明を私たちが額面通りに捉えるのは甘い…のかもしれません。
日本政府はなぜ軍事政権を援助しているか
印象的だったのは、日本政府はなぜ軍事政権を援助していると思うか、という質問に対する答え。「中国やロシアが怖いからでしょう。日本は小さな国で、中国やロシアや北朝鮮に囲まれていますから」
確かに、日本は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、中国とロシアと並んで名指しで批判されているほどの軍事政権万歳な援助国なのですが、この答えは少なくとも私にとっては意外なものでした。最初は私が日本人だから気を遣っているのだろうか、などとも思いましたが、考えてみれば、日本は人権問題や外交手腕に関しては、どう間違っても大国とは言えないので、こういう見方が生まれる余地があるのかもしれません。マスコミは「軍事政権を孤立させれば中国への傾斜を深める」として、ビルマへの日本の支援を正当化しているようですが、はっきり言って日本も相当孤立しているような気が…。
デモ弾圧
では、デモ弾圧の現場はどうなっているのかというと、これは日本でもすでに報道されていることしか聞けませんでした。それだけビルマの情報統制が厳しいということなのでしょうが、それでも
- デモでは200名以上が殺された(軍事政権の発表によると死者は20名)
- 携帯電話やカメラを持っていた市民やジャーナリストが狙い撃ちにされた(長井記者も背後を至近距離から撃たれている)
- 殺された僧侶の遺体が川に流されている(ビルマでは僧侶は「人」という単位で数えられないほど尊敬されている存在なので、これは国民にとって凄まじい悲しみと怒りを呼び起こす)
という話を聞けました。
ビルマの通信事情
ビルマでは、インターネットのプロバイダーが政府の管轄にあって、Webがプロキシサーバーを通るため、国全体が巨大なイントラネット状態になっています。長井記者が殺害された27日ごろから、軍事政権は、市内のネットカフェを閉鎖し、インターネットや携帯電話、固定電話の通信網を遮断しましたが、普段もインターネットや電話の接続状態は極めて不安定だということです。彼らの多くはビルマに家族を残していますが、インターネットは1日に1時間ほどしかつながらず、しかもいつつながるかもよくわからず、さらに通信速度がどうしようもないほど遅いので、ネットでの連絡はほとんど取れないそうです。手紙も検閲があるために送れず、たまにつながる電話だけが、家族と連絡を取り合う唯一の手段だとか。
見える独裁、見えない独裁
ビルマの状況は、ここ数年膠着状態というかむしろ悪化しているそうです。日本の状況は?と尋ねたところ、やはり、悪化していると思う、という答え。日本の何が一番問題だと思うか?と訊くと、政治に対する無関心という答えが返ってきました。
「そういう教育を受けているからだと思うのですが。私たちのところにも学生が応援しにきてくれたら、もっと日本でも注目を集められるのに…。日本の学生は遊びとお金にしか興味がないのでしょうか?」
ビルマでは1988年の民主化闘争を指導したのが学生だったこともあって、日本の学生の政治的無関心ぶりにはかなり失望しているようです。確かに道路の向かいに大学のキャンパスがあるのに、学生が彼らに対してほとんど関心を示さないというのは、他の国では考えられないことなのかもしれません…。
最後は、日本はビルマのように目に見える形の独裁ではないけれど、国民の無関心の結果でもあり、また国民を無関心にさせるための、見えない独裁が行われているのではないか(政権交代がなければ実質的な独裁とも言える)、というような話になりました。
もしも、自分たちが当事者にならない限り私たちは動けないのだとすれば、そして、取り返しがつかなくなってからしか自分が当事者であったことに気づけないのだとすれば、いつか私たちは海外の国連施設や日本大使館前で、彼らと同じことを繰り返すようになるのかもしれません。