モスクワ空港で チェチェン人学生が拘束

また、追加情報としてチェチェンの子どもたち日本委員会の情報もどうぞ:

モスクワ空港で チェチェン人学生が拘束

 チェチェン人、スピヤン・アブドゥラーエフと聞かれても大方の日本人は、えっ、それって誰?という知名度の低い人物でしょう。彼は、地下で武装抵抗運動を続けたマスハードフ大統領が、2004年に財務相に任命した人物です。ロシア側は、アラブ諸国から流入する支援金を管理するワッハーブ主義者たちの金庫番だと考えてきました。彼は、その後も、その役割を続けて、2006年夏にドッカ・ウマーロフが「大統領」となり、「副大統領」となったシャミリ・バサーエフが、イングーシで爆死すると、2007年3月に、その跡を継いで、「副大統領」となった人物です。しかし、数ヶ月後、ドッカ・ウマーロフは、チェチェン共和国(イチケリア)大統領職を放棄し、カフカス・イマラート(カフカス首長国)の設立を宣言、スピヤン・アブドゥラーエフもそれに従って、ドッカのナイブ(副官・代理人)に収まりました。この人物の家族はアゼルバイジャンに亡命中で、息子のマスード・アブドゥラーエフは、2006年からエジプトの首都カイロにあるアル・アズハル大学に留学していました。

 ロシアの人権擁護組織「メモリアル」の運営するニュースサイト、「カフカスキー・ウーゼル」によると、5月末、エジプト当局は、チェチェン人を含む北コーカサス出身の留学生たちを、居住規則に違反しているとして国外退去処分としました。彼らは、自費負担でモスクワ行きの航空機に乗せられ出国しましたが、到着したドモジェードヴォ空港で彼らは拘束され、その中にいたマスード・アブドゥラーエフは、行方知れずとなりました。チェチェン人人権活動家でスウェーデン在住のマイルベーク・タラモフ氏が配布した国際人権活動家グループのロシア検事総長宛の公開抗議文によると、エジプトでこれら留学生を国外追放に追い込んだ事自体が、マスード・アブドゥラーエフを人質として、彼の父親に圧力をかけようと言うロシア連邦保安庁(FSB)の秘密工作であるとしています。抗議文は、近親者を人質にとって圧力をかけると言うことは、従来からチェチェンではしばしば行われてきたが、ロシア連邦の首都でこの事件は発生し、もしロシア国家が公然と、国際手配も、ロシア国内指名手配も行われていないロシア国民を、手配者の親族と言うだけで拘束するなら、文明国としての対外イメージを取り返しが付かぬほど貶めると指摘して、検事総長権限で釈放を求めています。

 「カフカスキー・ウーゼル」は、5月27日夜に、モスクワのドモジェードヴォ空港に着いた留学生複数は、モスクワから家族のいるアゼルバイジャンに向かおうとしたが、特務機関員に拘束されたとし、父親に圧力をかけようと、既に長い間、離別している息子を、ただ親族という理由だけで不当に拘束した人権侵害の例として治安当局を非難しています。またロシアのインターネット新聞「ガゼータ.ru」
は、拘束後釈放された留学生たちから、エジプトで治安当局から受けた不可解な仕打ちや、モスクワ、ドモジェードヴォ空港にはFSB要員だけでなく、チェチェン共和国から派遣されてきた特務機関員が含まれていたこと、多分、拘束されて釈放されなかった者は、チェチェンに送られたのだろうと語っていることを伝えています。

http://www.gazeta.ru/news/lastnews/2009/06/20/n_1374257.shtml
http://www.kavkaz-uzel.ru/articles/155633