ナタリア・エステミロワの殺害についていくつかのコメント

リバティ アンドレイ・バビツキーのコメント 抄訳


 ナターシャとたった一度でも会ったら 忘れられないそういうひとだ。驚くほど恐怖感というものを持たない、内的な抵抗に打ち勝って大胆に行動していたというのでなく、他の行き方はできないからそうしているという風だった。やらねばならないことをやっているだけと。チェチェンでは、生存権、拷問されない権利、誘拐されない権利、銃殺されない権利というものを守り抜かねば生きていられないし、権力や取締機関との関係で用心深さが必要なのにそれをまったくもっていないのがナターシャだった。

 グローズヌイで誘拐をできるのはそうたくさんいない、カディロフの許可なしにそんなことはできない、となるとカディロフの手の者か ロシアの特務機関かどちらかの仕業でしかありえない。チェチェンとロシアの当局をはっきりわけてみることはなく、チェチェンはロシアの欠かすことのできない一部をなしており、この二つは一国のなかで行動している。今まで、当局は人権活動家には手を出さないできた。

 プーチンはポリトコフスカヤの死について「彼女のジャーナリストとしての活動よりこの死がロシアにもたらした損害のほうが遙かに大きい」と言ったが、あれは真っ赤な嘘だ。チェチェンでおきている犯罪行為の数々が暴かれ、公表されていることによってロシアの取締機関は思う存分に、こうすべきだと望んでいるようには動くことができなかった。 しかし、今回の殺害で、そのブレーキがはずされてしまった。 
 今回の殺害事件は状況を根本的に変えてしまう。チェチェンで行われている犯罪行為についての最後の情報源だった、人権活動家が殺されたのだ。 国際社会はこのことに目を向けるべき。おそろしい犯罪について伝えるものがいなくなる。 チェチェンで人がさらわれず、拷問にかけられず、殺されないよう訴えたたかうものがいなくなる。超えてはならない一線を越えてしまう事件が起きてしまった。

ノーヴァヤ・ガゼータのムラトフ編集長談

 ナターシャと最後に会ったのは マルケーロフ弁護士と バブーロワが殺されたあのとき。 「ナターシャ、チェチェンから逃げろ! とにかく早く!」と言ったとき、彼女はそのことは分かっていると言った。 

 わが国で憲法が無効な特別区がある、そこでは何でもあり。 金と成果は 憲法より上位にある。 ナターシャは国益より人間の命のほうがはるかに大事だと考えていた。 わたしもそう思う。わたしはチェチェンでの仕事をあきらめた。ノーヴァヤの社員を死なせるわけにはいかない。「ノーヴァヤはチェチェンではもう動かない」と正直に言ったが、残念ながら 徹底的にチェチェンと手を切れない。

 ナターシャは誠実に当局にも協力していて、チェチェンの反体制派などというのではない。つまりチェチェン当局の随行とともにスタヴロポリ地方に行く用意をしていた。そこで収容所にいるチェチェン人のことを調べるつもりだった。彼女にとって権力者がだれなのかは二の次で、とにかく人間の尊厳をまもろうとしているだけだった。カディロフが協力を要請し、彼女はカディロフと仕事をした。

 監獄の状況を視察したのだ。 ナターシャは政治活動をしていたのでなく 具体的な一人一人の運命を問題にしていた。われわれは殺人犯を見つけられまい。民主主義にはいくつかの段階があって、殺しが許されない段階の地域もあれば、殺しも許される時期の民主主義を体験している地域もあるなどというのはナンセンスだ。 

メモリアル チェチェン支部 オレグ・オルロフ談

彼女を殺したのはチェチェンで起きていることが共和国の外にもれることを嫌うものたちだ。カディロフが直接殺せと命じたかどうかはわからないが 最近、メモリアルが攻撃された。チェチェンのいわゆる人権問題代表ヌルジ・ナウハジエフによる攻撃だった。

 彼はグローズヌイの我々の支部長を呼んで言った。「メモリアルの活動は政府のお気に召さない。しかたなくお前たちを公に非難せざるを得ない、それしかメモリアルの安全を確保する方法がない」と。

 それが間に合わなかった。ナターシャの最後の報告の一つは アフチムチャーボルゾイ村で人々が誘拐されておりその後そのうちのひとりが公開処刑されたというもの。これが報じられたことにカディロフは怒りを爆発させていた。

 エステミーロワが殺害された7月15日「チェチェンにおける戦争犯罪でロシア指導部を告訴する展望」という本のプレゼンテーションが行われた。

http://www.svobodanews.ru/content/article/1777792.html