ナターシャ、私たちは忘れない

(7/15 アンドレイ・バビツキー/プラハ・ウォッチドッグへの寄稿)

 今日、ナターシャ・エステミロワが殺された。事件を犯した政治的存在につい て語れば語るほど、あのかけがえのない人を襲った惨事と耐えがたい苦痛も、彼女を知る数百、数千の人々の怒りも、どこかにかすんでしまう気がしてならない。

 ロシア政府が被害者面をすることはできない。チェチェンで誘拐され、殺され、行方不明になったのが――一般市民、ビジネスマン、公務員――誰であれ、 ロシアの市民なのだから。

 チェチェンでは、政治的な権利についてのすべての疑問が封じられている。チェチェンでの深刻な人権侵害についての西側の抗議の世論に、権力者たちは何度も応答を迫られているにも関わらず、そこが人権法に守られるべき場所だなどとは考えもしない。だから、人権活動家たちは情報の宣伝という手段をその手に握り締めているのだ。


 ナターシャは、絶望的なほど病んだ犯罪的な体制と対決していた。南ロシアに 広がる悪い夢のような状況に生きる人々から、圧制の苦しみを取り除けようとして。

 彼女はもういない。殺したのが誰か――カディロフの部隊か、あるいは他の特務機関か――そんなことは、たいした問題ではない(グローズヌイで女を誘拐した り、それをチェチェンの外で捨てるなんていうことは、彼ら以外にはできない)。どちらにしても、ロシア政府の一部門にすぎないのだ。

 これからどうなるのか? 「メモリアル」は、そのスタッフの安全を考えて、チェチェンでの活動を縮小せざるを得ないかもしれない。スタッフたちは常に警告を受け、脅迫されるだけでなく、実際にあらゆる場所に危険が潜むことになる。

 この事件に関わった者が捕らえられることはまずないだろう。だが一方で、沈黙を肯んじない人々のリストは、これからも増えていくはずだ。

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