エステミローヴァは人々を救い続ける

http://www.svobodanews.ru/content/article/1789187.html

 ナタリヤ・エステミローヴァは死の直前、チェチェンの山村、アフキンチュ=ボルゾイ村での超法規的処刑と誘拐の情報を流した。このことは、彼女が突然誘拐・殺害されたあとに明らかになった。チェチェンでの対テロ作戦は廃止されている。しかし人権擁護団体「メモリアル」のメンバー、エカテリーナ・ソキリャンスカヤは、うわべは平穏だが、テロへの報復という形で、弾圧は続いていると考えている。
 アフキンチュ=ボルゾイ村で息子を殺されたリズヴァン・アルベコフは、ナタリヤ・エステミローヴァの殺害は、ある社会的影響をもたらしたと考えている。エステミローヴァが活動していた人権擁護団体「メモリアル」のメンバーであるシャフマン・アクブラトフは、ラジオ・リバティの記者によるインタビューで、これについて次のように話した。

 「われわれの情報では、アフキンチュ=ボルゾイ村の住人の一人が車に乗って食料を運んでいたところ、通りを歩いていたある父親と息子が捕らえられた。父親は撃たれ、息子は解放された。自分が思うに、ナターシャのようにならなかったのは、彼女の死の騒ぎのあとだったからだ。ナターシャは自分が死んでも人々を守り続けている」

―「メモリアル」が「失踪」としていたマスフド・アブドラエフも解放されました

「そうだ。これもそう前のことではない。彼はとっくにアゼルバイジャンの母のところにいる。私は彼と会って話した」

―何を話したのですか?

「アブドラエフと捜査委員会(SK)に出席している職員について話をした。彼が言うには、エジプトから強制退去させられたあと、チェチェン共和国の「人権監視団体」の職員たちと(モスクワの)空港で会ったそうだ。そして彼らとチェチェンに戻った。彼は逆らわなかった。彼自身パスポートを取るために、チェチェンに戻るつもりだったからだ。この間、彼は友人のところにいた。問題は、なぜ母親と連絡を取らなかったかだが、彼は『余計な話』を嫌がった。私は彼の服、腹、背中を点検したが、殴打の痕跡はなかったが、始終落ち着かない様子だった。彼はドカ・ウマロフの近親者の一人の息子だ。おそらく父親の影響があると興味をそそられたのだろう。私たちは今後彼を見守ることを約束した」
このようにシャフマン・アクブラトフは語った。

奔走していたのは「メモリアル」だけではない。
ナタリヤ・エステミーロヴァは死の直前、所在がわからないアプチ・ザイナロフの件を追求していた。

「アプチ・ザイナロフ青年は、かつてMBFの共犯者として短期間だが断罪され、服役が終わったあとサラトフ県に住んでいました。6月の終わり、彼は親戚のところへ電話をかけてきて、外国へ行くと告げたのです。それから連絡は途絶えました。どのくらい時間がたったか不明ですが、アプチという名の青年が、アチホイ=マルタノフスキー地区の病院にいることがわかりました。患者は頭と体に傷を負っており、姓は教えてもらえませんでした。彼は武装警備下の病院に収容されていました。我々はこの青年の親戚を見つけ、彼がアプチ・ザイナロフであると告げました。ナターシャはこの青年の母親と共に地区検察とMBDのもとへ出頭し申し出をおこないました。これはわずかの時間ですんだのですが、その間、青年は病院の敷地から連れ出されました。私たちはこういうことを予想して、彼がどうやってそこから連れ出され車に押し込まれて連れて行かれるか目撃するため、親族をそこに残していました。車のナンバーは記録され、私たちは検察に申請しましたが、どう処理されたかわからない」

体制改革後、チェチェンのテロリスト掃討作戦は暴力を引き起こしている、とグローズヌィで活動する「メモリアル」のエカテリーナ・ソキリャンスカヤはラジオリバティのインタビューに対して、ナタリア・エステミローヴァの死に際しのべた。

体制改革後、チェチェンの公衆安全確保はラムザン・カディーロフの責任となっています。現在、彼はテロ規制作戦(KTO)の変革によって合法的に武装したゲリラから国を守り、不安なことは何も残っていないということを強調したがっているのです。すべてのテロ組織は壊滅した、と。しかしカディーロフの声明の陰で、今夏は武装集団が活発化しているといわれています。武装組織は居住地に入り込み、テロを行い、グローズヌィの中心では警官や兵士が殺害されています。したがってラムザン・カディーロフはこうした抵抗勢力に対して容赦しない戦闘を通告しているのです。

武装ゲリラに勝利するには、社会基盤や住民から切り離すことです。一部の住民はまだ食料、医薬品を支援しています。こうした支援なしに抵抗することは不可能です。最近、我々が注目している失踪以降、ここ2ヶ月のうちに発生した拘束、法的根拠のない死刑は武装勢力と共犯関係であることを疑う人々の下で発生しています。つまり、これは武装勢力自身ではなく、パンと薬を提供する人々もテロ行為に手を染めていると疑われるということなのです。要するにアフキンチュ=ボルゾイ村のクルチャロエフキー地区で銃殺された人を疑わなければならないということです。

―それは行き過ぎなのでは…。

ゲリラを成敗するのはそれほど深刻な犯罪ではありません。条件つきの報復で2年間。しかし一般市民は8ヶ月から1年で足ります。ここで我々は銃殺による私刑を目撃しています。こうして住民を恐れさせ、カディーロフに反対するものを助けると銃殺されるということを人々によくわからせるのです。こうしてカディーロフは抵抗勢力を根絶やしにするつもりです。

―あなたはどう思いますか? 彼は成功したと?

そう思いません。なぜならいかなる銃殺刑も公開処刑や強制失踪、親族に事故死したとか連絡なしに消息を絶たせたり森に追いやったりするのは、その者が待ち続けて森に行く可能性があるからです。チェチェンのこうした状況では、紛争は解決できません。このような時期、弾圧はあっても全体的な支配力は弱体化しています。実際、こんにちのチェチェンは、モスクワからの支援による全体主義的な制度にのっとっています。非常に強硬ですが求心力は少し弱まってきています。そしてさらなる恐ろしい衝突が来ると思います。

このようにエカテリーナ・ソキリャンスカヤは推測している。

訳:T