アンナのお母さんの言葉

ライーサ・アレクサンドロヴナ・マゼーパ筆
「ノーヴァヤ・ガゼータ」2006年10月23日付
アンナ・ポリトコフスカヤ追悼文集「何の咎で?」より

 「いろいろな民族の歴史の中には、まるで酔っぱらいのような時期があるものだ。そういう日々はやり過ごすしかないが、そこに浸っているわけにはいかない」 
 この言葉はアンナが、入院中の母親ライーサに差し入れた本にあった引用句だ。

 アーニャ(アンナの愛称)は、10月7日に、レスナヤ通りで殺害される数時間前に病院の母に電話をかけた。家事のことや、細々した世話のこと、娘と最近話したこと。ただし、仕事のことは一言も触れなかった。入院中の人を心配させてはいけないから。

           * * *

 アーニャは朝、電話をかけてきました。まだ10時にもなっていませんでした。本当は本人がお見舞いに来るはずでした。彼女の順番だったんです。なにか家の用事で来られなくて、そのかわりにもう一人の娘、レーナが行くけれど、日曜日には必ず会いましょうと言ったんです。彼女はなんだかご機嫌でした。明るい声でした。
 「おかあさん、気分はどう?本、読んでる?」あの子は私が歴史物を好きだって知ってました。そう、アレクサンドル・マニコの『ヒメネイの元のアウグストスの館』って本を持ってきてくれたの。あの子は読んでなかったんですけどね。
 私は言いました。「読みづらいの、どのページも3度くらい読み返さないとならないわ、お父さんが目の前にちらついてね」(少し前にライーサさんのご主人は他界していた)。あの子は私を慰めようとしました。
 「お父さんは苦しまなかったわ、あっという間だったのよ、おかあさんをお見舞いに行く途中で・・・でも、本の話をしましょうよ」
 「アーニャ、あの本の179ページに引用句があるの、ぐっときたわ、まさにロシアのことなの」そしてこの言葉を読み上げてやったの。
 「おかあさん、そこに栞を挟んでおいて、忘れないでね」
 私は、この引用句は誰の言葉なのか、あの子に訊きました。彼女はロシアの有名な女流詩人テッフィのことを話してくれました。そして、「それじゃおかあさん、また明日ね」
 あの子はとても上機嫌でした。でも本当はいい気分じゃなかったのに、私を心配させないように万事順調の振りをしていたのかしら?
 翌日の日曜日、いつもより朝早く、看護婦が来て注射をしました。私は「どうしてこんな早くに?」と思っていました。
 今はわかります。鎮静剤だったんです。娘のレーナが、その夫のユーラと一緒にやってきました。ユーラは出張に行っていて、モスクワにいるはずがないのに。見ればユーラの頬に涙‥‥。
 ユーラは「おかあさん」と言って、私に頬をすりよせると、もうあとは言葉にならないんです。そして、レーナも、涙が後から後から流れるままに、どうすることもできないでいます。 私は訊きました。
 「アーニャが殺されたの?」
 レーナが答えました。「そう、殺されたの」「いつ?」「昨日」

 私はあの子のことをいつも心配していました。私が入院するよりずっと前にあの子と話し合ったことがあります。あの子はチェチェンについての記事を準備していて、私は「くれぐれも用心してね」と頼んでいました。
 あの子はこう言ってました。「もちろん私の頭の上にはいつもダモクレスの剣がぶら下がっていることはわかっているわ。それはわかるけど、降伏したくないの」って。
 今は、あの子の代わりに生きていかなければなりません。でも あまりにひどいことです、だって一度に二人を奪われてしまったんですもの。

アンナのおかあさんが退院、医師の談話

「ノーヴァヤ・ガゼータ」2006年11月16日付

 アンナのお母さんのライーサさんは、ご主人が亡くなる直前に、大統領庶務局外来病院外科に入院して手術の準備をしていた。外科医長のアルトゥニン氏は次のように語る。

           * * *

 ご主人が亡くなったことは、二日間隠していました。それから知らせることに決めた時、まずトランキライザーを注射しました。知らせに対してライーサさんは立派に悲しみに耐え、病院に残ることに同意しました。難しい手術をしました。ひどい貧血で点滴で栄養を入れ、輸血をし、たくさんの薬を注射しました。すべてによく耐えました。娘たちが必ず見舞いに来ていました、それなのにこんなことが起きてしまった‥‥。
 アンナが殺されたことがわかったとき、ライーサさんの部屋のテレビは止められ、電話も切られました。最初の日、身内の人たちは事件を隠そうとしていましたが、それは続けられる物ではありません。どのニュースでも、この殺害事件が話題でした。ライーサさんがふと部屋の外に出てテレビで見てしまうかもしれませんし、患者の誰かと話しをしてしまうかもしれません。
 娘さんのレーナとお婿さんのユーラが電話をかけてきて、話さないわけにいかないと言ったんです。私は心臓専門医を呼んで、心電図をとって心臓の状態を確認し、朝、トランキライザーを注射しました。それから、レーナとユーラが来ました。ライーサさんはこの悲しみを立派に耐えました。おそらく前もって注射をしたおかげでしょう。
 私は殺害事件の翌日ライーサさんと話をしました。ライーサさんは立派に耐えて、自分のこと、アメリカでの仕事のことなどを話し、そのあとで 娘の死は 背後から刺されたようなものだと言いました。
 ライーサさんは退院する時しっかりした足取りでした、家族はリハビリに送りました。 今は術後の回復も順調です。 
 病院に居る間中、ライーサさんは少しも悲しみを表に出すことがありませんでした。じっと内に秘めて、とても強い人です。