11月20日「アンナへの手紙」上映会トークイベント「アンナ・ポリトコフスカヤを語る」

大富亮(司会):今日はお集まりいただき、ありがとうございます。私たちチェチェン連絡会議は、チェチェン戦争に反対する個人と組織が集まって活動を続けているんですけども、2003年のモスクワ劇場占拠事件ときに、アンナ・ポリトコフスカヤという人が劇場に入って交渉しているというニュースを聞いて、それが確かこの人を知った最初だったかなと思います。
 それ以来彼女が発信している情報、出版している本に非常にいい内容だと知れ渡るようになってきて、日本でも本が3冊、NHK出版から刊行されるということになったんですね。あるとき私たちは、アンナ・ポリトコフスカヤに日本に来てもらい、講演会をやってもらえないかと打診したことがありまして、それはモスクワにいる若いお坊さんを介して連絡をとったんですけど、しばらくしてから「アンナ・ポリトコフスカヤは日本に行くつもりがあるから、条件や時期を知らせて下さい」という返事をお坊さんから受け取ったんですね。
 ところが、そのときに他のプロジェクトと平行してやっていたので、別の人を日本に招聘するということになったんです。そのときはよもやこういうことになるとは思わなかったですから、本当に一寸先は闇というのか、今そのことについては私は責任を感じてます。本当は彼女がここに来てチェチェンのことを話してもらうはずだったんですが。
 今日は「アンナ・ポリトコフスカヤを語る」と題しまして、アムネスティインターナショナル日本の寺中誠事務局長、ジャーナリストの林克明さんに来ていただきました。林さんはチェチェンに16回以上行かれて、直接の取材をされている日本では稀有なジャーナリストです。
 寺中さん、映画を見た感想はどうですか?
寺中誠(アムネスティ・インターナショナル日本事務局長):映画の中で、アンナ・ポリトコフスカヤさんが生きて、歩いて、話をしています。アムネスティが、ポリトコフスカヤさんと一緒に、ロシアキャンペーンとして大々的にキャンペーンをやったことが2003年にあります。その際、特にチェチェンの問題を主な問題として打ち出しました。しかし、日本での反応はいまひとつでした。まずロシアの状況というものがあまり知られていないということ。そして、チェチェン戦争に対する認識もない。そんな苦しいキャンペーンの中でも、ポリトコフスカヤさんがいろんなところでされる発言や映像が非常に強く印象に残りました。
 キャンペーンの甲斐あってか、ヨーロッパではチェチェンの問題が認識を喚起し、すぐそばで起こっている戦争だということで、EUも相当強い発言をロシア政府にするようになったということで、これはよかったです。
 ところがチェチェン問題に関わっていた人たちが次から次へと殺害されるという事件が起き始めます。ポリトコフスカヤさん以前に殺害された人たちについても映画の中に出てきましたし、ポリトコフスカヤさん自身も殺害され、この映画ができた後も依然として多くのジャーナリストが命を落としている。チェチェンのことを書けばそれだけで狙われるようになるという状況に今でもなっている。
 だから再度、意識喚起を図っていかないといけないなと思っている次第です。新たに「人権擁護活動家を守れ」というキャンペーンを張り、お手元にもアクションハガキをお渡ししていますのでご協力ください。この映画を見ると、実際に映画に出てきた人の中にたくさんの人が命を落としているんだろうという思いが離れません。
 もう一人有名な活動家でナタリア・エステミロヴァさんという方がいらっしゃいまして、外のロビーに彼女の遺影も張り出しています。ノーヴァヤ・ガゼータの通信員で人権活動家でもあったこのエステミロヴァさんも、今年の7月に殺されてしまいました。今日の映画の中でほんの1秒弱くらい出ておられましたけども、ぼろぼろになった服を出して母親が嘆いているシーンの直前にカメラがすーっと動いているときに、エステミロヴァさんが映りました。おそらく彼女だけじゃなくて、この映画の中に映っている人の中で、もう今は生きてない人もいるんじゃないかと思います。
大富:林さんはどんな感想をもたれましたか?

林克明(ジャーナリスト):感想といってもなんと言っていいか、暗くなって見てて具合悪くなっちゃいました。やっぱり起きている事態がすごいし、人権侵害がひどいし、映像に映っている人の中に、実際会った人がいっぱいいたりとか。ちょうど映画の中に、アンナ・ポリトコフスカヤと一緒に活動していたチェチェン人女性ザイナプ・ガシャーエワがいました。その人に何回も手伝ってもらったりしたことも思い出しましたけど、この映画の中でもっと暗くなったのは、実はナレーションです。
 ポリトコフスカヤが外国に行っていろんな国際機関で訴える。期待はしていないけどとにかく伝え続けるしかない。そのわずか1行しか言葉にならないんですよ。そのポリトコフスカヤの気持ちはよくわかるし、私も同じ思いを持っていますけど、違うのは私にとってチェチェンもロシアもよその国のことだし、やっぱり距離があるんですけど、ポリトコフスカヤにとって、自分自身が生きている国・社会で起きていることに取り組むということだし、自分の目の前に起きている以外のこともちゃんと追求しているということがすごいし、その一方で、どんなに報道しても絶望感のようなものを持っていることを強く感じました。

大富:私は、どうして殺されるところまで躊躇せず進んでしまったんだろうかと、見てて思いました。ところで、今日は会場の受付にいたんですが、非常に貴重な方が来ていることに気づきまして、お話うかがいたいんですが、田中さん、よろしかったら少し前でお話しいただけませんか?
 田中和夫さんです。第一次チェチェン戦争が始まったころに、モスクワで支局長をされていました。

田中和夫(NHK解説委員):私は98年までモスクワ支局で仕事やってて、それから日本に帰りましたから、99年からの第二次チェチェン戦争はあまり知らないんですよ。2002年3月に、別の取材でモスクワに行ったんですが、そのとき私の知り合いのノーヴァヤ・ガゼータの記者に、「面白い記者を紹介する」と言われたのがアンナに会った最初なんですよ。
 この映画の感想と重なるんですが、最初に会ったとき、私も彼女がチェチェンについてどのくらい書いているか知らなくて、ノーヴァヤ・ガゼータというのはそんなに大きな新聞ではなく、むしろマイナーな新聞で日本では知られてなかったですね。
 正直言って彼女がどんな記事書いているかを知らなくて、むしろ知人の記者がかつてチェチェンの第一次紛争取材した日本の記者を紹介する、というスタンスで会いました。 
 この映画で、最初にポリトコフスカヤが「私が生きているのが不思議だ」と言い、最後にことわざで、「悲しいこと、つらいことは飲み込む」という二つの言葉が出てきます。私にとって、アンナ・ポリトコフスカヤの印象はあの言葉なんですよね。
 私は2回会ってるんですが、彼女はそうとう苦労してやっていても、そういうことは一切言わない。ユーモアもあるし、気負いがない。二度目は、彼女が書いた最初の本「フタラーヤ・チェチェンスカヤ」を読んで、2003年に会ったときです。
 私の印象は林さんとまったく逆です。たしかに誰も書かなかったチェチェンの惨状などを取材して書いた、それがために殺された。こんなひどいことはない。だけど非常に逆説的かもしれないけど、取材をした相手が「口を封じなきゃやばいぞ」と思うところまで取材をできたという意味では、本当に幸せなジャーナリストだったなと思います。
 だから逆に言うとあの映画を見て、そんなに暗くなるという感じにはならなくて、あれだけ優秀な人がこんな殺され方をされていいのかという憤りはあるけれども、彼女が言いたかったことを補い、繋いでいってほしいというメッセージのように、私はこの映画を観ました。

大富:ポリトコフスカヤさんに2回取材されたということですけど・・・

田中:送ってもらった「フタラーヤ・チェチェンスカヤ」という本のことで、聞いてみたいことがあって。このロシア語はですね、「第二のチェチェンの」で終わっているわけです。ロシア人の語感でいけば、「フタラーヤ・チェチェンスカヤ・ヴァイナー」、「ヴァイナー」は「戦争」ですから、「第二次チェチェン戦争」という言葉が常識的に来るんですよね。ところが、「ヴァイナー(戦争)」という言葉がない。なんでこんな題にしたの、っていうのが聞きたかった。
 2003年のちょうど大晦日の頃会って話してて「なんでヴァイナーを隠したの?」って聞いたんですけどね。そしたら「ヴァイナー」じゃない、「トラゲージヤ」だって言うんですよ。「トラゲージヤ」は「悲劇」、つまり彼女は表紙に誰もが思い浮かべるであろう「フタラヤ・チェチェンスカヤ・ヴァイナー」という「戦争」ではなく、そこを空けることによって、実は「もっと違うところに行き着きました。この本には戦争のこともあるんだけれども、実はチェチェンで起きている悲劇のことです」というメッセージを書いたんだとそのとき思ったんです。
 取材をするということと、それを伝えるということは違うんだけども、彼女の場合は取材力は証明されている、自分の命が危うくなるほどの深い取材をした、その取材力はお墨付きだけれども、さらにそれを文章にして書くという、このセンスは抜群のものをもっているんだと思いました。
 普通だったらそのような題は付けないと思う。確かにチェチェンでは悲劇が起きている、それをこんな悲劇だとかどんな悲劇だとか言うのではなく、自分はコメントしないんですね。つまり、人に会って話を聞いてそれを書く、その内容は、正に非劇そのものです。でも彼女は敢えて非劇とは書かない。伏字にすることで読者の想像力を刺激して、より深い印象を与えることに成功している、と思います。

大富:林さんもポリトコフスカヤさんを取材されていますけど、実際に会ってみた所のアンナ・ポリトコフスカヤは、どんな方でしたか?

林:この映画の印象そのままだし、それに編集部で、他の記者が評価している内容もありましたね。しゃべり方とか雰囲気がアンナ・ポリトコフスカヤ、という感じですよね。

田中:私は一緒に仕事をしたことはないのでわかりませんが、編集部の彼(ムラートフ編集長)が言っていたように、仕事場でやりあったことがあったとか。あのシーンは、私には少し意外でしたけどね。

大富:ポリトコフスカヤさんが書いたものとかを読むと、もちろんジャーナリスト学部を出ているというキャリアはあるんだけど、チェチェンに99年に出会ってしまったっていう一大転機だったようなんですね。林さんに聞いてみたいんですけど、ジャーナリストとしてチェチェンに出会ってしまうっていうのは、そんなに衝撃的なんでしょうか。

林:それはもう衝撃だと思います。私自身、チェチェンに出会わなかったら今の自分はないと思うし、天と地が反対になっちゃうくらいの衝撃、戦争の激しさとか残虐さとかばっかりじゃなくて、いろんな面で人生を変えてしまったという感じです。ポリトコフスカヤも自分自身で言ってましたけど、そう思うのは私だけじゃなくて、あらゆる国から来たジャーナリストも同じです。ポーランドとかハンガリーとかノルウェーとかチェコとか、あるいはトルコ、もちろんアメリカやイギリスのジャーナリストもいたし。ある種の熱病と言ったら変かもしれないけど、来た人は変わってしまう、それはもうほとんど例外なく言ってましたね。

大富:今外で売っている白水社から出ている「チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち」という本を書いたオスネ・セイエルスタッドも口をそろえるかのように言ってるんですけど、チェチェンで散々いやな目にも遭ったんだけども、モスクワに帰ったり母国に帰って生活していても、本当の生活はチェチェンにあるような気がしてならない、という言い方をしている。

林:チェチェンって特殊な地域だけど、過去にチェチェンに行った人にとって、民族を問わず宗教を問わず何かを感じる普遍的なものがあるんじゃないかと思うんですね。

寺中:ロシアの人から見たチェチェンっていうのは、コーカサスいわゆるカフカス地域の代名詞ですね。昔からロシア文学の中でもコーカサスは非常に特殊な地域で、三大文豪がみんな同じ題名で「コーカサスの虜」っていう有名な本を書いてたりするわけですよね。
 これは昔のロシアとチェチェンとの戦いのときの話ということなので、19世紀それ以前のロシアからあのあたりを見るときの、一種の憧憬にも似た、しかし何か危険なにおいもするという感情があったんだろうなという気がします。今でも、それの裏返しとしての憎しみとかチェチェン人に対する差別とかに、どんどん転化していくっていうのもあるんだろうなと思えますね。
 以前、キャンペーンをやるときに中心にしたことの一つが、モスクワに居るチェチェン人たちに対する人権侵害で、つまりチェチェンでの人権侵害は当然あるし、すごく大変な問題なんだけども、モスクワに住んでいるチェチェン人人口ってのもけっこうあるんですよね。例えばこの人たちが病院に救急車で運ばれたとき、病院は受け入れ拒否する。それからチェチェン人であれば医療もやらないとか、そういう目に見える形で日常生活で起きていた。このあたりがチェチェンというものが持っているひきつける力ですね、そういうものを逆に再認識させてくれたというところがありましたね。

大富:寺中さんは学生時代にソビエト法学を学ばれていたんですよね。

寺中:学部、大学院時代はソビエトの犯罪学を中心に勉強していました。ソビエトの犯罪学を研究している人は日本にはほとんどいませんので、有数の研究者ということで。(笑)

大富:ロシアでは死刑制度もほぼ廃止に近いと思うんですけど、イングーシ、ダゲスタン、モスクワもそうですけど、人権活動家が次々と殺害されていく・・・

寺中:実はソ連からロシアに至ったころの法制度の全体を見ていくと、ロシアは、法制度的にはとても民主的なきちんと整備された法体系を持とうとします。実際、たとえば参審制の陪審員制度がとられていますけど、それも日本の裁判員制度よりはるかにましなものになっている。制度的には。
 死刑に関してはつい昨日廃止が決まったという報道がありました。法律は変わりませんが、憲法裁判所がもう死刑はしないということをはっきり宣言したということで、これは非常に大きなステップですね。ところがもう一方では平気で人を殺す。しかも軍まで使って人を殺していく。軍っていうのが国内軍なんですよね、内務省軍ということになります。普通の軍というのは外に向かって鉄砲を撃つんですが、この内務省軍っていうのは、内に向けて鉄砲を撃つことがそもそもの存在理由になっている。これだけとんでもないものを持っている国ってのはあまりないだろうと。

大富:陸軍や海軍とは別に内務省軍というのがあるんですよね。

寺中:それがかなりの力を持って、現実的にさまざまな部隊が展開し、チェチェンなんかでも大展開して人権侵害を引き起こす。同じ内務省軍はモスクワでも警備をやっていて、いろんな人権侵害を引き起こす。そういう問題があったりするので実務面はめちゃくちゃなのに、制度面はものすごくきれいに作り上げるという乖離が激しいところという気がします。

大富:田中さんはそのあたりどういう風にみられましたか?モスクワの様子とか。

田中:最近取材をしていないんで、むしろ私は「アンナ・ポリトコフスカヤの事件の真相がはっきりしない限り、ロシアの未来はない」と思って、それをずっと追っているんです。それで2007年の12月にノーヴァヤ・ガゼータに行ったんです。新聞社がやっている独自捜査の進捗具合を知るためです。
 この映画を観ると、みなさんの印象でいくと、チェチェンのカディロフの周辺がやったんだろうみたいな印象をもたれる方とか、途中でロンドンに亡命したベレゾフスキーとかリトビネンコとか出てきて、結局プーチン政権が犯人だろうというような印象をこの映画を観て感じると思うんですけど、私が聞いたムラトフという編集長とソコロフという二人の話はちょっと違って、何のために殺されたかという私の質問に対して、アンナ・ポリトコフスカヤチェチェンで、あそこの復興に関わった壮大な汚職の網にぶち当たったんだろうと。彼女はそういうのをそれまでにも何かに書いているんですよ。
 けれども今回は本当に、具体的に(人物や事件を)特定できるようなそういうところまで取材したんだろう、というのが、彼らの2007年時点での観測でした。じゃあ背景はどういうことかと聞いたんだけれども、チェチェンには犯罪集団がいるとかいう話ではまったくなくて、内務省、つまりロシア軍、それからKGBの後継である連邦保安局(FSB)、これも軍隊の一部なんですね。つまりロシア軍の中、それからチェチェンの犯罪グループ、そういったものがひとつの闇のような世界を作っている。取材をしていて、そういうところにぶち当たったんだろうなというのがムラトフの話。
 彼が個人的にそう思っているんではなくて、ノーヴァヤ・ガゼータは検察と一緒になって独自捜査をしているんですよ。映画にチャイカっていう検事総長が出てきて、犯人を逮捕しましたっていう発表しましたよね。あれも曲者で、あのとき彼は背景に海外のオリガルヒ、新興財閥がいるって一言言った。

大富:なんか、ベレゾフスキーに罪をなすりたがっているみたいですね。

田中:そう思うでしょう? でも、ベレゾフスキーの名前を出していないわけ。つまり「海外のオリガルヒがいる」と言う。ついベレゾフスキーと思っちゃうけど。
 メディアはどう伝えたかというと、ここからが少し話したいことです。ロシアの3つのテレビ局が、オン・ザ・レコードでチャイカ検事総長の「背景に海外のオリガルヒ」という声をぱっと流す。一方、ノーヴァヤ・ガゼータ以外の新聞は背後にオルガルヒの影みたいなものがあるみたいに書いて、これで一件落着という書き方をした。
 本当は実行犯じゃなくて、実行犯の手引きをしたやつばっかりが逮捕されている。もちろん、ロシアでは「ザカズノエ・ウビーストヴァ(依頼殺人)」って言って、背後で殺人の指令を出す者についてはほとんど触れられない。今回犯人逮捕しましたってやつも、いわゆる黒幕はまったくそこには出てこない。ノーヴァヤ・ガゼータは自分たちの独自捜査をしているからそうじゃないって伝えているけど、政権とマスメディア、ノーヴァヤ・ガゼータ以外の主要メディアはもうこれでアンナ・ポリトコフスカヤの件はおしまいにしてしまった。
 日本と同じで、逮捕したら起訴して裁判、これは今もやりなおしの裁判が続いていて10人逮捕したうちの3人を起訴、1人FSBの将校が別件で起訴されています。今のところ全員が無罪。ただしここからがややこしいんだけれども、無罪になったけれども、最高裁判所が裁判のやり直しを求めているという状況。ただ、裁判自体が茶番劇みたいですから、仮にやりなおしても政権が狙っている幕引き、つまり犯人はわかりません、ただし被疑者を起訴しました、それでおしまいになっちゃうという危惧があります。

大富:アンナ・ポリトコフスカヤという人は死んでしまったんですけど、後続するジャーナリストの人々や、日本という遠いところから支援する支援団体があり、この会場に来てくれた方がこんなに大勢いるということが、今は希望だと思います。
 ただそれも毎月のように人権活動家が殺害されて、若いとたった26歳でしたという報道が続く今ですから、注意をしてよく見て、訴えるべきことを訴えていかなければならないと思います。ぜひ今後ともよろしくお願いします。
 チェチェン連絡会議の支援としては、チェチェンからの難民というのも日本に来るようになりまして、まだ数は少ないんですが、その難民の人たちへの支援活動もしなければならない状況があります。そういう人たちは、難民認定を申請するんですけど、2年も3年も放っておかれて、その間生活費は雀の涙くらいしか出ず、健康保険も、仕事もない、お金がない、いろんなものがない状況で身体を壊していく難民が多いです。その人たちへの日頃の支援と、法的な支援、たとえば難民申請のスピードを速くしてもらうための活動をしたり、そんな目的でチェチェン連絡会議としては支援金を募っておりますので、ぜひご協力をお願いします。今日は遅い時間までお付き合いくださいましてありがとうございました。