モスクワでブダーノフ元大佐射殺

 モスクワで6月10日昼過ぎ、ユーリー・ブダーノフ退役大佐が頭部に4発の銃弾を打ち込まれて射殺された。殺害現場は、コムソモリスキー大通りと第3フルンゼンスカヤ通りの交差点にある38/16号館の公証人役場のある中庭で、日本製中古車三菱ランサーに乗っていた数名に待ち伏せ攻撃された。犯行後、数ブロックはなれた場所に、この車は放火され遺棄された。

 ブダーノフは、1963年、ウクライナ生まれ。1998年から2000年まで、ロシア陸軍第160親衛戦車連隊司令官として第2次チェチェン戦争に従軍した。従軍中にブダーノフは17歳のチェチェン人少女エリザ・クンガーエワを強姦・殺害したとして2000年3月27日に逮捕された。

 チェチェン戦争中にロシアの将兵によって行われた強姦・殺人は枚挙の暇もないが、この犯行は、ロシア陸軍の高級将校によって行われ、現実に犯人がロシア刑法によって訴追された数少ない事件として、注目を集めた。

 事件が明るみに出るとシャミリ・バサーエフやアラブ義勇兵頭目であったハーッターブら、マスハードフ大統領と対立していたチェチェン独立派内のイスラム主義グループは、ブダーノフの身柄引き渡しを求めて、捕虜としていたペルミ州特別任務民警部隊(OMON)11名との引き換えを提案したが、ロシア側に拒否され、これら11名のOMON隊員を殺害した。

 一方、殺害された少女の両親は、バサーエフらの申し出を拒絶して、あくまでもブダーノフをロシア刑法に照らして裁くことを主張した。アンナ・ポリトコフスカヤ記者や、ロシアの人権団体が、この事件に注目したのは、ロシアの司法が、どのくらい正義を貫けるかの試金石、という点にあった。

 ジリノフスキーのロシア自由民主党など右派勢力は、ブダーノフを「ロシアの英雄」と公然とたたえ、裁判をブダーノフに有利となるよう執拗に働きかける一方、被害者の両親を脅し、国外避難を余儀なくさせた。それでもブダーノフには、有罪が宣告された。しかし、ブダーノフの元上官で、ウリヤノフスク州知事となっていたウラジミル・シャマーノフ管轄下のディミトロフグラード刑務所に送られ、服役とは名ばかりの状況であった。

 チェチェンの傀儡政権の頭目ラムザン・カディロフもシャマーノフのことは、戦争犯罪人と公然と非難し、ブダーノフの恩赦には強硬に反対し、グローズヌイでノ市民の抗議集会を許した。結局、ブダーノフが放免されたのは2009年はじめであった。放免後、ブダーノフは報復を恐れて身を隠していた。その動静は、彼の友人たちにもほとんど知られていなかった。

 ブダーノフの殺害は、近年凶暴化の一途を辿っている、ロシアの排外主義的右派勢力を刺激する可能性を秘めている。また、殺害はチェチェンの「血讐」の達成を容易に思い起こさせるが、犯行現場で事件を目撃した人々は、彼らはコーカサス的容貌ではなく、スラブ風の容貌だったとしている。

2011.06.11.岡田一男まとめ