チェチェン戦争で犠牲になった一般市民追悼アクション

今年の6.11にラジオ・リバティに載った、移民団体のフォーラム”のアクションのことを紹介します。これは、”フォーラム”がロシア市民に対して行っている、罪もないのに殺されたり失踪したりした、チェチェンの一般市民を追悼する記念碑を作ろう、という呼びかけです。(A.M)

チェチェンの二回に及ぶ戦争で犠牲になった一般市民を追悼するアクションについてhttp://www.svobodanews.ru/content/article/24231680.html


今に至るまでチェチェン戦争で“失踪”したままのひとびとを気に掛けるのは親族だけだ(写真は、「プーチン、すぐに母親たちに子供たちを返せ!」などと書かれたプラカードを手にした女性たち)
ラジオ・リバティ ロシア版*、 2011年6月11日 パーヴェル・クラフスキー記者 
*訳注 – ラジオ・フリー・ヨーロッパおよびラジオ・リバティ(Radio Free Europe / Radio Liberty) は、アメリカ合衆国議会の出資によるラジオ放送と報道の機関である。本部はプラハ。 本稿はラジオ・リバティのサイトに載った記事を翻訳。
社会運動“移民団体のフォーラム”はロシア市民へのアピールを行い、その中で第一次および第二次チェチェン戦争の間に罪も無く死亡したり失踪したりした民間人のことを忘れまい、と呼びかけた。不朽の記憶のシンボルとなるのは、モスクワとグローズヌィに建てられる記念碑である。
罪もなく亡くなったあるいは行方不明となった、チェチェンの一般市民の名を不朽のものとしよう、というアイディアは、“移民団体のフォーラム”のリーダーたちが集まった、最近開かれたフォーラム設立15周年会議の席上で生まれたものである。
このアクションのコーディネーター、リジヤ・グラフォワは以下のように語っている。

  • 亡くなったり失踪した人たちの数について、現在に至るまで公式の数字はなく、7万から 30万人と言われています。唯一ハッキリしているのは、その数万人のうちの圧倒的多数が一般市民である、ということです。 ロシアの兵士達、この地獄に放り込まれた、不運な若者たちにはロシア各地に記念碑が建てられています。 カディロフは、チェチェン共和国でテロと戦った兵士達のヒロイズムをたたえています。 ところが、戦争の犠牲となった、最も不運な一般市民は忘れ去られ、多くはどこで亡くなっているのかその墓所さえもわからないのです。 こうしたことを考えて、一つのアピール文が作成されました。ロシア国民全体に対して追悼のアクションを呼びかける手紙です。 これは大変困難なアクションです。 いろいろな民族のひとたちがチェチェンの市民として亡くなっていますが、 そのすべての名前を集めようとするものだからです。これは一年ではすまないかもしれません、というのも、すべての亡くなった人たちの名前を集め、チェックするのはとても困難な事だからです。 そしてこの本格的な作業が終わったところで、記念碑建立のための募金を始めます。

  グラフォワは、社会的な信頼を得ている人々による権威ある監視委員会がこのアクションの進行状況をフォローすべきである、と確信している。フォーラムは委員会メンバーの候補者についての提案を待っている。投票はこのアクションのサイトで行われる。追悼のアクションの提唱者達は、チェチェンの20年にわたる悲劇に主として責任があるのは、ドゥダーエフのテロルと、ロシア連邦軍の無能なテロ取り締まり作戦であるとしている。 テロ対策基金の元顧問で政治学者のルスラン・マルタゴフはこの移民団体フォーラムの提案を支持して以下のように語っている。

 - 亡くなったすべてのひとたちの名前を確認するということは この悲劇の規模を認識するということであり、この悲劇をネタにして政治的な点数稼ぎをしようとする連中の手からカードをもぎ取ることになります。 そして、もっとも大事なのは、もし国がこれに関わるのであれば、国自身がその責任を認識しているということになります。・・・なお、 記念碑については、イスラムの教義上、人物の顔を彫ることは出来ず、顔は隠さなければなりません。それで、顔が見えないようにベールを被った女性が膝に子供を抱いている像を考えています。
 
永遠に人々を記憶しようとするこの考えは、記念碑建立にむけての大規模な作業というだけでなく、統計的な数字を確認する重要な作業でもある、とヒューマン・ライツウオッチ モスクワ支部副所長のタチヤナ・ラクシナは考えている。

  • これは、行方不明者、死亡者、事件に巻き込まれた人たちすべてについての様々なデーターをひとつにまとめようとする試みです。なぜなら、例えば行方不明者についての実質的な統計数字は無いからです。 行方不明者の中には犯罪者も混じっているかもしれませんが、武装勢力によって、もしくは内務省や連邦保安庁の職員によって連行されたひとたちもいるでしょう。 そういった場合は、それを行った者がもうその職務になくても、罰せられるよう働きかけるべきです。しかし、それよりも、実際に、どうなってしまったのかが分からない多くの人々がいるのです。例えば、ナンバーを汚して隠した装甲車がやってきて、人を連れ去り、それ以来何年も経ってしまい、どこに連れて行かれたのか、どうなったのか結局だれにも分からない、という例がたくさんあます。 このような事件の捜査は政権が行うべきで、誰とも知れない武装集団がこの人たちを連れ去って銃殺したと言うのではなく、この人たちが消えてしまったのはロシア国家の責任なのだと認めるべきです。 しかし、たとえ、今そのような正常な調査を始める政治的な意志が発揮されたとしても、前述のような例についてはあまりにも時が経ちすぎてしまいました。しかしこれらの人々の家族は何らかの情報を待ち望み、とても苦しんでいるのです。 そういう人たちにとってせめてもの慰めとなるのが、消えてしまった人々の記念碑を建てることなのです。

 
発起人グループの連絡先、情報集めの結果は移民団体フォーラムのサイトwww.migrant.ru. に常時公表される。 (http://www.migrant.ru/news.php?id=1084