「アパート連続爆破事件が忘れられてはならない」ロシア追放の記者が語る

ロシア政府、アメリカ人ジャーナリストを説明なく入国拒否
「ガーディアン」、ルーク・ハーディング記者 2014年1月14日


 キエフの領事がデヴィッド・サッターのロシアビザ更新を拒否した際に示した理由は、「所管官庁が、あなたのロシアへの入国は望ましくないと判断した」というものだった。こういう場合の所管官庁というのは連邦保安局(FSB)で、スパイ事件の際に使われる口上だ。

 ソチオリンピックの開会を2月7日に控えて、ロシア政府はイメージを改善するために、著名な政治的囚人を解放してきた。ミハイル・ホドルコフスキー、グリーンピースの活動家、パンクバンド「プッシー・ライオット」の2人のメンバー。サッターの入国拒否はそんなときに起きた。

 入国拒否の理由はわからないが、サッター自身の推測は、1999年に起こったモスクワアパート爆破事件が「チェチェンに対する戦争を正当化するために起こされた、ロシア政府の自作自演の謀略だ」といちはやく指摘し、それについての本も書いたからではないか、というものだ。

 各地での連続爆破事件で300人の市民が死亡していた1999年の9月に、ロシアの地方都市リャザンの集合住宅でも爆弾が発見され、住民が避難する騒ぎが起きたが、その翌日、 FSB のパトルーシェフ長官(当時)は、「これは訓練だ」と発表した。

 連続爆破は、当時首相だったプーチンの人気を高めて大統領への道を開くために、FSBが秘密裏に行った謀略で、その証拠はいくらでもあると、サッターは2003年に刊行された著書『Darkness of D own (夜明けの闇)』指摘している。この本は、『プーチンが大統領になった理由』というタイトルで2013年 2月にロシアで再版されていた。

 何者かに殺害されたジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤや、元FSB職員のアレクサンドル・リトヴィネンコも同様の見方をしていた。

 「私がやりたいのは、歴史的な事件に、人々の関心を向ける仕事なんだ。もっとも汚くて、悲惨な事件であってもね。ロシアにまた入りたいのは、連続爆破事件について書くためじゃない。それはもうやった。他にも、2004年のベスラン学校占拠事件では、334 人もの人ーほとんど子どもたちーが死んだ。そういった事件が忘れられていいとは全然思えないんだ」と、サッターは言う。

Russia expels US journalist David Satter without explanation

Luke Harding The Guardian, Tuesday 14 January 2014
http://www.theguardian.com/world/2014/jan/13/russia-expels-american-journalist-david-satter