誰が何の咎(とが)でアンナを殺したのか?

ヴャチスラフ・イズマイロフ 「ノーヴァヤ・ガゼータ」軍事論説員
アンナ・ポリトコフスカヤ追悼文集「何の咎で?」より

 チェチェンでは、裁判なし処刑によって数千人の人が殺されている。戦闘のためではない。殺された人の多くは武装勢力とまったく関係がない。
 ある人々は、ハンティ=マンシ*1からチェチェン首都グローズヌイに送り込まれた警察小隊のラピン大尉とその部下たちの生け贄となって、拷問で殺された。ウルマン大尉ひきいる諜報部(=強盗団)の連中は、チェチェンのダイ村から来た教師たちの乗る自動車に銃火を浴びせて、あとで遺体を焼き払った。第160戦車連隊のブダーノフ大佐は、17歳のチェチェンの少女を暴行し、殺した。
 これら、軍の高官たちの起こした事件は、アンナ・ポリトコフスカヤが書いた記事の事実によって訴追されたわけではない。しかし、彼女が「ノーヴァヤ・ガゼータ」に載せた記事のおかげで、これらの事件は社会的に大きな反響を呼んだ。
 わたしが疑っているのは、このラピンやブダノフ、ウリマンのような輩や、そのシンパたちがアンナを制裁したのではないか、ということだ。しかし、これはそういうチャンスがあればの話だ。しかし、捜査がある程度進んでも、その疑いを捨てるわけにはいかない。
 アーニャはチェチェンでの拷問、殺害、誘拐について書いていた。こうした獣のような違法行為を、すべての取締機関が行っていた。内務省、保安省、諜報局、カディロフ一味、バイサロフ*2、ヤマダエフ一味*3、カキエフ一味*4など。
 しかも、訴追をかわすために、これらの組織のそれぞれが、競争相手の手口をまねる可能性もある。これらの誘拐犯、殺人鬼たちは、お互いの振りをして誰が誰をころしたり誘拐したのか、自分たちでもわからなるくらいの演技をする。
 しかし、アンナはまったく独創的な摘発をしたことがある。しかもそれは見事な記事だった。つまり、ロシアの新しい英雄たちの化けの皮をみごとにはぎ取っていたのだ。死んだ「ヒーロー」の神聖化された名前を売り物にした生きた「ヒーロー」の犯罪的なビジネスの眉を顰めさせるどころか、眼に一発ぶちかませたのだ。
 2004年5月9日までは、カディロフ一派の蓄財は、比較的制限されていた。ラムザンの側近たちは今のようにベンツやフェラーリを乗り回してはおらず、99年型のジグリーなどに乗っていた。
 アフマトハジ・カディロフ*5が殺害されたあと、ラムザン・カディロフにはさまざまな前途が開けた。
 まず、アブラモフ首相をふみつけて第一副首相になった。第二に、アフマト・ハジカディロフ基金という組織がつくられた。これはマネーロンダリングのための仕組みで、数百万ルーブルという資金を、何の規制もなく使うことを可能にした。
 実際、カディロフジュニアのもとで、チェチェンの国民は全員、平の警察官から共和国内務省高官、掃除夫から政府の高官や大臣まで、すべての者が献金をまきあげられている。
 『ラムザン・カディロフチェチェンの華だ』(2006年6月5日付、ノーヴァヤ・ガゼータ42号)と題した記事で、アンナはカディロフ基金が主としてチェチェン国民からゆすり取った資金で成り立っていることを証明して見せた。献金を断れば、よくても解雇だ。
 カディロフジュニアは、合法化されたゆすりビジネスのおかげでチェチェンで最大の大金持ちになった。彼とその取り巻きたちは高級外車を乗り回し、モスクワの高級なマンションを購入している。
 この記事では、カディロフのイメージアップのために書いているジャーナリストたちが、その基金のおかげで共和国の復興がおこなわれていると書いていることを伝えた。また、建設中の27の施設のうち、予算外の資金で作られているのは6つだけであることを示し、そのほかのすべてがロシア連邦の予算で数十億をつかって実施されていることを明らかにした。
 2000年の春に首相となってから、ラムザン・カディロフはいわば二人の親の乳を吸っているのだ、国の予算と、犯罪的な方法で作られている基金から。この基金がスポンサーとなって行われた「チェチェン美人コンクール」についてアンナは書いている。

   *   *   *

 「審査員が一番の美人の名を発表し、多くの娘たちが自動車をプレゼントされたあとで、グデルメス*6のレストランで宴会が開かれた。カディロフはボディガード数十名を連れて現れた。コンクールの入賞者たちがカディロフのボディガードとカディロフの前で踊ることが命じられた。踊っているとき、ラムザン・カディロフの命令で、ボディガードたちが踊っている娘たちにお札の雨を降らせる。100ドル札や1000ルーブル札を‥‥。
 娘たちは、大理石の床に散ったお札を、なされるがままに拾い集めた。入賞者の一人が突然泣き出してしまったとき、ラムザン・カディロフはダイヤをちりばめた「ショパール」の時計をやるよう命じた。そのダイヤつきのショパールは、グデルメスの市場でただちに売りに出された。
 涙は乾き、国民から巻き上げた金で購入され、また別の国民の足下にこれ見よがしに投げ出された高級時計を拒む者はいなかった。
 何年かたてばすべて忘れ去られる‥‥しかし、2006年の5月にレストランの床の上をはい回ったこの乙女たちは、どのように生きていくのだろう?
 ツエントロイ*7で数百人の人々が苦しみ抜いている時に『カディロフは和平をもたらす!』という記事に自分の署名を使うことを許した若いジャーナリストたちは、これからどのように生きていくのか?
 とても想像ができない」

   *   *   *

 このように書いて事実をばらしてしまったことを、マフィアは許さないだろう‥‥。

*1:ロシア、チュメニ州の自治管区

*2:モヴラジ・バイサロフは保安省の作戦部隊にいた

*3:スリムヤマダエフはロシア国防省諜報局の特殊部隊「ヴォストク」の師団長

*4:アイド・マゴメド・カキエフ、諜報局特殊部隊「ザパド」師団長

*5:現在のカディロフ大統領(親ロシア派)の父親。

*6:チェチェン第2の都市

*7:カディロフが作った秘密収容所があり、彼に歯向かった市民たちが虐待を受けている