暗殺の時代 ミラーシナ5



ソ連時代には投獄、今は暗殺」

 ロシアの有名な人権活動家で、モスクワのヘルシンキグループのリーダーであるリュドミーラ・アレクセーエワが、つい最近吐き捨てるようにこう言った。「ソ連時代には、政府は不満分子を投獄した。でも今は、いきなり殺すのよ」
 近年、ロシアでは、現体制に対する批判者をピンポイントでつぶすことが、まさに奨励されていると言っても良いほどだ。
 そうした殺しは、大部分がみせしめのように行われ、犯罪として罰せられないままになっている。それは通常、依頼殺人だ。ロシアでは依頼殺人の犯人逮捕に至るケースは非常に少ない。実行犯が逮捕され、投獄されたとしても、殺人を依頼した真犯人は刑事責任を問われないままとなる。
 殺人が罰せられないままであることに、政府も立法府もこれと言って問題を感じていない。そうした殺人を依頼する人物が、えてして政治家だったりするためかもしれない。その一方で殺人事件は増え続けている。
 2009年の1月、モスクワの中心街、救世主教会のそばで、スタニスラフ・マルケーロフ弁護士と『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙のアナスタシヤ・バブーロワ記者が射殺された。
 これについては直ちに公式見解がだされた。「これは、厚顔無恥な同時殺人で、スタニスラフやアナスターシアを敵とみなしていた、ロシアのネオナチグループの仕業だ」と。先週、この2人の殺害容疑で、非合法ファシストグループのメンバー2人──エヴゲーニヤ・ハシスとニキータ・チホノフが、逮捕され、殺害を認めた。しかし、ロシアのネオファシズムに関する専門家たちは、捜査取引の可能性があると懸念している。ニキータ・チホノフはすでに他の殺人事件の容疑者として指名手配されているので、彼はマルケーロフとバブーロワの死の責任も引き受けたのかもしれない。これが依頼殺人であったことは疑いの余地がないが、今のところ、実際の殺しの実行犯も、それを依頼した者たちも拘束されていない。
 捜査当局には他の説もある。「チェチェン人の犯行」だというもの。まさにマルケーロフこそが、ロシアでは珍しいことだが、チェチェンのカディロフ大統領という、ロシアでもっとも影響力のある政治家を刑事告訴にこぎ着けたのだ。マルケーロフ弁護士のクライアントは、チェチェン人のサリフ・マサーエフで、カディロフの故郷のツエントロイ村にある秘密の監獄に投獄されていたことを公言したのだ。
 この告訴の後まもなくマサーエフは誘拐され、その身体はまだどこでも見つかっていない。私がたしかに知っているのは、マルケーロフとバブーロワの殺害事件の捜査官がチェチェンに行き、そこでナターリア・エステミーロワについての刑事事件の資料も調べようとしていたことだ。

勇気は権力に対する犯罪

 ナターリア・エステミーロワはチェチェンで誘拐され、2009年の7月15日に殺された。彼女は、スタニスラフ・マルケーロフや、2006年の10月に殺された『ノーヴァヤ・ガゼータ』の記者、アンナ・ポリトコフスカヤの親友だった。彼女たちは、第2次チェチェン戦争中、酔ったロシア連邦軍兵士に誘拐され、殺されたチェチェン人たちの身内を支援していた。つい最近、ロシアの捜査委員会の指導者であるアレクサンドル・バストルイキンが、ナターリア・エステミーロワ殺害事件は目途がついたと言明した。しかし、そのあと誰も逮捕されていない。
 だが、それも驚くにはあたらない。ナターリア・エステミーロワの殺害はチェチェンの警察官、またはロシアで所謂カディロフツィ(カディロフ派)と言われている連中の仕業だという。エステミーロワの殺害は、依頼殺人であり、彼女を宿敵と見なしているラムザン・カディロフ大統領の利益のために行ったことだと推定する根拠は揃っている。カディロフはナターリアの人権活動を憎んでおり、彼女の勇気に、はらわたが煮えくりかえる思いだった。現在の全体主義国家チェチェンでは、勇気は権力に対する犯罪なのだ。
 おそらくナターリア・エステミーロワ殺害事件は、アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件と同じ運命をたどるのだろう。
 捜査当局はカディロフを尋問などしないだろうし、グローズヌイのムスリム・フチエフ市長やアダム・デリムハノフ下院議員や、そのほかの側近たちに対しても同じだろう。これらの人たちは目撃者の証言に出てくるし、ポリトコフスカヤやエステミーロワを殺害するための動機もある。殺しのための手段も手にしていた。しかし問題は、ロシアではこういう人たちには治外法権があるということだ。

ロシアを統治しているのは誰か?

 今日、多くの人たちが口にする質問は、「ロシアを本当に統治しているのは大統領(プーチン)なのか、首相(メドヴェージェフ)なのか」ということだ。メドヴェージェフが、2012年にプーチンが戻ってくるまで大統領の座を守っておくだけでなく、自分の政策を進めていくようになるチャンスはあるのだろうか?
 ナターリア・エステミーロワ殺害に対するメドヴェージェフの反応を見れば、この疑問は氷解するだろう。エステミーロワの殺害の直後に、メドヴェージェフは公然とカディロフ大統領を擁護して、こう発言した。「これはカディロフの敵がやった犯罪で、ロシアとチェチェンの指導部に泥を塗り、その関係を裂こうとしてやったことだ」と。
 しかし、最近の10ヵ月だけでなく、3年間のロシアでの殺人を見てみれば、10件以上の殺人事件で、カディロフ大統領の個人的な敵か政敵、あるいはカディロフが犯した重大な犯罪を非難した者が犠牲になっている。
 ここでとくに象徴的なのは、ロシアの英雄であるルスラン・ヤマダーエフとスリム・ヤマダーエフ兄弟の殺害だ。この2人は長年ロシアに対して心身共に捧げつくしてきた。プーチンの、チェチェンに「秩序を確立する」という政策を守り、それを実行してきた。
 この政策はつぎのようなものであった。ロシア側についたチェチェンの野戦司令官たち(=ヤマダーエフの兄弟)には、裁判も取調べもなしに同胞を殺す権利が与えられた。それで、チェチェン人がチェチェン人を殺すようになった。ちなみに、これをもっともうまくやってのけたのがラムザン・カディロフ大統領で、彼は前例のない残虐さでクレムリンの熱い支持を得たのだ。 
 カディロフにとってヤマダーエフ兄弟が邪魔になり始めると、クレムリンはためらうことなく殺された。ルスラン・ヤマダーエフは、2008年10月に、モスクワの中心街の交差点に自家用車でさしかかったとき、これ見よがしに射殺された。彼はメドヴェージェフ大統領に支援を求めようして会見したが答えは得られず、その帰り道だった。その少しあとに、ロシアのもっとも強力な防諜機関である国防省参謀本部情報総局(GRU)に勤めていたスリム・ヤマダーエフがロシア軍をやめた。これはつまり、彼がモスクワの保護を受けられなくなったということだった。スリム・ヤマダーエフはしつこく命を狙われるようになったので、身を隠し、強力なボディーガードをつけなければならなくなった。そしてカディロフから逃げようとしてスリム・ヤマダーエフはドバイへ逃げたが、2009年の4月にそこで殺された。ドバイの警察はこの殺害の犯人を、カディロフの兄弟でロシア連邦下院議員のアダム・デリムハノフだと断定した。モスクワで死んだルスラン・ヤマダーエフの殺害はいまだに捜査されていない。

サドゥラーエフ夫妻の誘拐殺人

 
 このような処罰されない殺人が、チェチェンでは盛んに行われている。2009年の8月には、民間活動家のアリク・ジャバライロフとザレマ・サドゥラエフ夫妻がグローズヌイの中心街でカディロフ派の警察官に拘束され殺された。彼らは人道団体で働いており、その団体は地雷被害者を支援している。 
 アリクとザレマは、チェチェン武装勢力との関係を疑われて逮捕された。情報を得ようとして拷問が行われ、それから殺され、本人たちが乗っていた車のトランクに入れられて、グローズヌイのある場所に放置された。ザレマは夫が連れて行かれそうになったときに夫一人を行かせないために、自分からカディロフ派の警察官の車に乗り込んだ。彼女は妊娠2カ月の身重だった。
 ラムザン・カディロフは一度ならず語っている。チェチェンの非合法イスラム組織の取締まりには、こういう方法が効果的なのだと。しかし、結果は逆で、非合法組織は北コーカサス全体に広まっており、国家の暴力ではこの問題を解決できなくなっている。これについてはすでにチェチェンの隣国イングーシの大統領、ユヌス・ベク・エフクーロフが公言している。ジハードのために山に入る(反政府武装勢力に入る)若者を取り締まるのに、エフクーロフは遵法を原則とし、家に戻ってくる者には公正な裁判を約束した。
 大統領を信じてもらうために、エフクーロフはイングーシの野党政治家を仲介者に立てた。長年にわたって権力者、治安機関の横暴と戦ってきた人たちだ。そうした仲介者のなかでも特別な存在だったのが、マクシャリプ・アウーシェフだ。彼は山岳部にいる非合法組織との関係や、武装勢力に対して影響力をもっていることを隠さなかった。イングーシのエフクーロフ新大統領と武装勢力の間に立って、青年たちを山から戻らせようと努力していた。
  マクシャリプ・アウーシェフをイングーシのムラート・ジャジコフ元大統領は憎んでおり、その影響下にある特務機関はアウーシェフを敵視していた。2009年9月に連邦保安局(FSB)はアウーシェフを誘拐しようとした。そのことをアウーシェフはインタビューで語り、自分の命が狙われていると語った。そして10月に彼は殺されたのだった。

http://www.nytid.no/en/articles/20091124/blank/
Columnist from Russia: The killings continue
Ny Tid International 紙(ノルウェーの新聞) 2009年11月24日付け