千葉法務大臣、死刑執行がもたらしたもの

 このブログのテーマからは離れるが、千葉法務大臣による死刑執行のニュースには、果てしなく気が重くなる。今日、J-WAVEを聞いていたら、コメンテーター氏が、「これからは、法務大臣、裁判官、裁判員など、死刑に関わる人は、任意でもいいから、死刑の現場を見る必要がある」などと言うのを耳にした。人心の荒廃も、ここに極まれりという感じだ。

 つまり、法律によって人を殺害し、その殺害の様を見たいと希望する人には見てもらおう、そこから議論を始めよう、というのだ。これはもう、公開処刑の一歩手前だ。

 死刑問題の一番重要な点は、その刑罰が、人の、一つしかない命を奪うところにある。一度奪ったものは、たとえ議論をどれだけしても、もう戻ってはこない。今回、千葉大臣が「死刑制度の存置も廃止も含めて議論する場を作る」と言ったからといって、これまで死刑制度を続けてきた法務省が、間違いを認めて廃止することなどできはしない。いままでの執行が間違っていたとしても、命は戻ってこず、したがって補償のしようもないからだ。

 死刑は、そういう、不可逆的な刑罰だからこそ、廃止しなければならないのだという思いを、強くした。それぞれの事件の真相をさぐりあてることが困難なうえ、死を刑とする、後戻りのできない決定を、人に対して、ただの人が下すことなどできるわけがない。

 千葉大臣の今回の行為は、処刑を許可したこともさることながら、刑を自分の目で見て、そのうえ、間違いを決して認められない地点から出発する議論を呼びかけ、それが法務省内部で行われることまで規定したという点で、幾重にも犯罪的なものであり、日本の社会に住む人々の心を、今まで以上に荒廃した地点に導く最悪の行為だったと思う。(大富亮)

アムネスティ:日本 : 二人の死刑執行を非難する (2010/7/29)
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=825

保坂展人のどこどこ日記:官邸に「死刑制度調査会」を設置せよ
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/f252e019d52e68d736ea4ed672fc4284